今年の関東大学箱根駅伝では、去年のように途中で3校も棄権するようなことはなかった。終盤になって城西大が唯一リタイアした。しかし、2区で22人抜きのような記録はあったが、全般的にハップニングのない平板なレースだった。今年は85回目の記念大会とあって、出場チームも例年より多い23チームだった。
今年のレースで特に面白いと思ったのは、予想の外れ方だった。優勝候補の駒沢大は、選手全員揃って一級品と予想されていたが、蓋を開けてみると揃って二級品だったことである。選手が誰ひとりとしてブレーキを起こしたわけでもないのに、ダントツの優勝候補が優勝に1度もからむことなく、力を発揮せずに選外の13位に落ち、来年度のシード権すら獲れなかったことである。あれだけ前宣伝で華やかに書きたてられていながら、この結果には唖然とするばかりである。監督は淡々と全体の力がなかったと悔しさをおくびにも出さない。昨年の正月は堂々逆転優勝し、11月に伊勢で行われた全日本大学駅伝でも優勝して優勝候補の筆頭だった駒沢大学だが、トラブルもないのに最初からぱっとせずにすべてのランナーが2日間何の存在感も示せないままに終った。過去10年間に6回の優勝を誇る強豪が、かくも脆いとは意外だった。マス・メディアの予想もまったく外れてしまった。こうなると記者の取材能力にも疑問符が付く。とにかく駒沢大の予想外の不振がなんとも腑に落ちない。
さて、静かな正月休みを利用して、12月14日にNHK・ETV特集で放映された「加藤周一、1968年を語る」DVD録画を妻とともに観る。1時間25分の少々肩の凝る作品だった。同月5日89歳で亡くなられた加藤氏に関する文献は、「羊の歌」を始め、主に学生時代に岩波の月刊誌「世界」を通して読んでいたが、このビデオに関する限り加藤氏は「1968年」という年に、格別のこだわりを抱き、世界的なエネルギーの爆発と圧倒するようなうねりを感じたように受け止めた。実際世界的な動きを見てもその年はエポックメイクな1年だった。まず5月にパリでゼネストが起き、パリ市内は機能麻痺に陥った。8月「プラハの春」事件発生、そして同じころシカゴでベトナム反戦デモが勃発して警官隊が無抵抗の市民に暴力を振るった。日本では東大篭城を始めとする全共闘紛争等があったが、当時のフィルムを振り返りながら加藤氏は解説された。懐かしいフィルムがかなりあった。その中でも「プラハの春」には私自身格別の思いがあり、大きな影響を受けた。フィルムが映し出すソ連軍侵攻当時の光景は、強く印象に残っている。地下放送によって事件を外国へ伝えた当時の放送関係者の話は貴重な資料である。私自身この事件によってチェコへの留学を諦めたし、その後3度訪れたチェコへの郷愁を募らせてくれたきっかけとなった。
それにしても晩年の加藤氏の記憶力と鋭い観察眼には感嘆するばかりである。平凡社で出された加藤周一著作集の「言葉と戦車」は、氏が実体験した「プラハの春」から感じたことを書いたものだ。パリのゼネストのあとオーストリアからプラハへ車で出かけ、周囲の雰囲気が怪しいと感じてウィーンへ帰り、そこでチェコのテレビ(地下放送)でソ連軍の戦車による侵攻を知ったという。書斎に閉じこもっただけの人とはやはり違う。それが著書「言葉と戦車」に書かれている。リベラルな方で、核心を突く論考にはいつも頷かされていたものだった。こNHKの番組も良かった。