充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
ブログ一覧
6494.2025年2月22日(土) 平均年齢83歳の高齢者兄妹5人の会食
今日は久しぶりに兄弟妹に会えて楽しい1日だった。一昨年11月に会って以来だから、1年3カ月ぶりである。いくら高齢化社会になったとは言え、80歳前後の5人兄妹が揃って健康で一堂に会せるというのは、中々難しいことではないかと思う。今日も前回同様湘南鵠沼に住む78歳の妹宅へ87歳、86歳(私)、85歳、83歳の4兄弟が連れ合いともども訪れ、食事をしながら和気あいあいのムードの中で楽しい時を過ごすことが出来た。連れ合いを合わせて8人の平均年齢は 83歳である。私も今やや体調を崩していて、健康状態は必ずしも全員揃って良好というわけではないが、兄のやや認知症症状、義弟のALS症状を別にすれば、年齢的にも健康面ではまずまずだと思う。それにしても我々兄妹5人は、皆健康に過ごし今日まで大きな支障もなく生活していると思う。
私は、高校入学以来結婚するまで15年間の青春時代をこの松林の中の祖父の時代に別荘だった実家で過ごしてきた。潮風の何とも言えない空気感が何とも言えず心に安らぎを与えてくれる。現在の妹宅は、昔住んでいた実家からは少々離れているが、藤沢駅からバスに乗って窓の外を見ていると、大豪邸はほとんど見られないが、小型ながら豪邸があちこちに見られ、高級別荘地だった名残を感じて懐かしい思いがする。ほとんどの住宅には庭があるのが、都内の住宅街と異なる点である。
現在幸いにも皆お互いにそれぞれがそれほど離れた場所に住んでいるわけではないので、集まり易いという環境にあることも容易に揃って会食出来る要因である。
やや認知症の症状が現れて来た兄も、当初は今回に限り欠席するとの知らせを受けていたが、突然姿を現したので、驚いた次第である。その兄からは帰途電車内でこれからも1年に1度は兄妹で会いたいということを言っていた。これだけの高齢者兄妹が会って食事をともにするということは、あまりないことだと思うし、我々も皆がそう願っているので、条件が許すなら来年以降もぜひどこかでこういう気の許せない兄妹会を開きたいものだと思う。
この地で亡くなった両親が、我々を健康体に生み、育ててくれ、大学教育も授けてくれた。戦前、戦後にかけて5人の子どもを育て、大学まで進ませてくれたのは、両親の愛情だと思っている。
それにしても今日から3連休で大寒波が襲ってくるという予報で、確かに今日は寒かった。2時半ごろだと思うが、偶々窓の外を見たら雪が降り始めたのにはびっくりである。その後雪は止み、青空が見えて来た。気候温暖のリゾート地として知られた鵠沼にも初雪のお出迎えである。良いことが起きそうな予感がする。今日は楽しかった。世話になった妹夫婦に感謝の気持ちを覚えている。
6493.2025年2月21日(金) ミヤンマー軍事政権の落日ぶり
最近ミヤンマー情報がメディアであまり伝えられず、相も変わらず国軍による厳しい国家管理が行われているのかと思っていたところ、案に相違して国軍は辺境の地でその存在感を高めている少数民族武装勢力に足元を浚われ、勢力を後退させられているという。今では、各地で抵抗勢力の攻撃に見舞われ、戦力の分散を余儀なくされている状態である。軍部クーデターにより、圧倒的に国民に人気のあったアウンサンスーチー国家顧問らを拘束して、民主派勢力を追放し国軍が国を支配してから4年が経った。ミンアウンフライン国軍司令官らが支配する軍事政権は、中国政府の支援により多少息を吹き返したが、ミヤンマー全土を統率する力は最早見られないようだ。ミンアウンフライン国軍司令官の支持も低下しており、国軍の支配地域は、僅かに国土の32%程度と言われている。
そんな折も折、ミヤンマーで世界を驚かすような低俗な事件が明かになった。それは、ミヤンマー側から伝えられて来たニュースではなく、日本人高校生がタイとの国境沿いのミヤンマー国内の特殊詐欺の拠点「KK園区(KKパーク)」で、「闇バイト」による特殊詐欺に関わっていた疑いによりタイ警察に取り調べられたことから発覚した。
この数年高齢者、特に1人暮らしのお年寄りを騙して銀行口座から現金を引き出す詐欺行為が頻繁に起きてメディアでも大きく取り上げられ、社会的な問題となっている。「闇バイト」と言われSNSで知り合った人物から好条件の儲け話に誘われ、安易に口車に乗った若者が増えている。首謀者がフィリピンなど海外にいて、そこから指令を発しているという国際的な犯罪となっている。それが唐突に、日本人高校生がミヤンマーで身柄を拘束されたとは、日本国内でも些か衝撃を受けている。月刊「選択」2月号やネットなどにその詐欺グループの根城となった巨大な施設「KK園区(KKパーク)」に関する記事が見られるが、それはタイに近いミヤンマー国境地帯にひとつの街のような建物集団で中国の詐欺集団によって作られた施設だとは、驚きである。高額が稼げるとの甘い言葉に安易に疑問を抱かず海外へ出かける高校生の他にも、現地には日本人が何人もいるというから呆れるばかりである。ところが、他に外国人だけで1万人もいるというから、更に驚かされる。しかも日本人の方が多額の詐欺の可能性が高いということから、詐欺集団は日本人に狙いをつけているらしい。
この大きな詐欺集団施設を作ったのは中国人詐欺グループで、中国から高額報酬に釣られてこのミヤンマーへ連れて来られた中国人が大勢いる。その中に偶々中国人俳優がいて、それが中国国内で連日報道されてセンセーショナルな話題となったことから、中国政府当局が動き出した。昨日中国人200人がタイへ引き渡され、彼らは直ちにチャーター機で中国へ帰国させられた。
ミヤンマー国内にこれほど大きな建物群施設が作られ、ミヤンマー側は知ってか知らずか、中国人闇集団の成り行きに任せて放置していたミヤンマー政府には、大事とも思えず、こんな辺境の事象には目が届かなかったのだろう。それにしても国内の政治も安定せず、国民の間に軍部政府に対する不満も大分あるようだが、それに対応する余裕もないようだ。
経済的には遅れていたが、あれほどお人好しのビルマ人が、焦らず黙々と働きながら生活を送っていた私の知るビルマは、今どこへ行ってしまったのだろうか?
6492.2025年2月20日(木) 半世紀近く通いなれた書店の店じまい
昨日の朝日夕刊の社会面を開けてびっくりした。かなり広いスペースを使って書店の店じまいを知らせる記事が載っていた。関東大震災が起きた1923年に世田谷区内の奥沢に開業して以来100余年の間に、現在の東横線自由が丘駅前に移り、自由の女神像の真ん前に開いていた「不二家書店」が、今日を以て閉店するというニュースである。近々閉店になるという噂は聞いてはいたが、現実に今日店じまいとなるとちょっと寂しい。駅前で便利なので、私も半世紀近くに亘って立ち寄っては本を買っていた書店で、このまま消えてしまうのは実に惜しく残念である。そして今夕6時のNHKニュースでも「書店減る中・・・老舗閉店」と報道されたが、一介の本屋が閉店するだけのニュースをメジャーのメディアがここまで報道するとは、それほどこの書店の閉店は惜しまれ界隈の関心が高いのだろう。
不二家書店店頭には、拙著を平積みに置いて販売してくれたこともあり、その意味ではお世話になった書店である。同じ夕刊の「素粒子」欄の作者がこんなことを書いている。「近所の本屋さんが明日で店じまい。最後に『ずっと手元に置く1冊を』と思い、辞書を買う」。作者は、購入した辞書を引き合いに「国を救う者は何をしても違法ではないと・・・わが辞書に」とトランプ大統領を皮肉っているのだ。作者もこの近くに住んでいて閉店に寂しさを感じたのかも知れない。
最後の日でもあり、長い間お世話にもなったこともあり、お別れの挨拶代わりに書店へ出かけてみた。妻もクリニックへ行った帰りに立ち寄ってみたら、店外までお客の行列が続いていたそうだが、私が訪れた時は、さほどでもなかった。販売してもらった拙著「南太平洋の剛腕投手」と、4年前に上梓した「八十冒険爺の言いたい放題」にお礼の言葉と署名を添えて、店員に手渡した。そして、文芸春秋社が来月1日発行予定の「昭和100年の100人-文化人篇」を買い求めた。この3階建て建物の新しい入居者は決まっていないようだが、現在自由が丘駅前は再開発の最中にあり、来年には大きなビルが建つ。しかし、駅前の周囲を見ると現状はほとんど飲食店である。自由が丘は、住みたい街ランキングの常連だが、駅の反対側のビルの地下に書店はあるとは言え、少々足の便が悪い。自由が丘駅界隈から文化が段々遠ざかって行くように思えて寂しく思っている。
日本出版インフラセンターによると今年1月現在、全国の書店数は10,521軒となり、19年前2006年3月の18,608軒に比べて、4割以上も減ったという。残念ではあるが、この傾向は益々拍車がかかるだろう。一昨日の本ブログに取り上げたように、小中高の学校教育の現場で、紙の教科書を使用することなく、デジタル教科書に代えていくような教育の傾向では、子どもたちが益々本を読む習慣と環境から遠ざかってしまう。
さて、放言癖のあるトランプ大統領が、昨日またゼレンスキー・ウクライナ大統領に物議を醸す発言をしてゼレンスキー大統領に不愉快な思いをさせている。ゼレンスキー氏が国民の支持がなく、彼の主張は国民の声と隔離していると述べた。ゼレンスキー氏は戦争により国民投票の大統領選をスキップしており、今仮に選挙を実施しても支持率は4%程度だとトランプ大統領は酷評しているのだ。更に戦争を始めたのはウクライナだと虚偽の発言までした。トランプ大統領がなぜウソをついてまで、ウクライナよりロシアの立場に立ったのか。トランプ氏にどういう企みと意図があったのだろうか。開戦の原因は、あくまでロシア軍のウクライナ侵攻である。その事実を隠蔽してロシアの肩を持つのは、どうしてだろうか、相変わらず世界を煙に巻くフェイクマン・トランプ大統領らしいが、その悪質なフェイクで世界中に対立と疑心を募らせている。
日本も対米輸出品に25%の関税を課せられるのを恐れて、戦々恐々としながらそれを回避してもらうために、来月武藤容治・経済産業大臣が訪米する予定である。
今夕の朝日「素粒子」欄には、「選挙が盗まれたと支持者をあおって議会襲撃を招いた(トランプ)大統領が、批判的な候補を締め出した選挙で圧勝した(プーチン)大統領と意気投合し、国を侵され選挙どころではなかった(ゼレンスキー)大統領を非難する」とうまい表現で事実を報道している。酷い御仁である。最後の3つの(人名)は、素粒子ではなく、私自身が書き込んだ。
6491.2025年2月19日(水) ウクライナ戦争停戦の可能性は疑問
5日後の2月24日は、ロシアがウクライナへ侵攻してからちょうどまる3年になるが、停戦にはあまり明るい展望がなく、停戦への確実な情報や動きが一向に見られない。そんな時に、アメリカのトランプ大統領がロシアのプーチン大統領と停戦交渉を始めるとしきりに前宣伝している。
昨日サウジアラビアの仲介の下で、サウジの首都リヤドでアメリカからルビオ国務長官ら3人とロシアからラブロフ外相ら2人が出席して停戦交渉のテーブルに就いた。アメリカ国務省報道官によると、「すべての当事者が受け入れ可能な早期に戦争を終結させる」ために高官級を任命し取り組むとしているが、最初から当事者のウクライナを除外しておいてすべての当事者も受け入れ可能とは話が飛躍し過ぎている。トランプ大統領は、「早急にプーチン大統領と会談する」と強い意欲を異様に示して戦争終結に向け迅速な行動を望んでおり、公平で永続的かつ持続可能な合意を目指していると述べたが、ウクライナのゼレンスキー大統領は、トルコの首都アンカラでロシアとウクライナの戦争終結を当事者のウクライナの頭越しに協議したと厳しく批判した。この雲行きでは、停戦交渉はとてもまとまらないだろう。
それにしても、トランプ大統領は一方の当事者と交渉しながらも、もう一方の当事者を外すという交渉をして話をまとめられるなんて不可能だという常識的なことが分からないものだろうか。頭へ来たゼレンスキー大統領は、今日サウジアラビアを訪問する予定だったが、訪問を3月10日に一時延期するという。
米ロ両首脳会談が実現されても悲しいことであるが、停戦は夢物語でウクライナ戦争は当分継続されることになるだろう。
トランプ話の序でに、こんな馬鹿々々しいことを言うインテリ・タレントがいることを披露しておきたい。環境問題と動物保護の観点からバイデン前大統領が、プラスチック製ストローを禁止して紙製ストローに代えることを決めたことに対して、トランプ大統領が反対し紙製ストロー禁止の大統領令に署名したことを、政治タレント橋下徹氏が評価したのである。橋下氏は何を考えているのか、弁護士という職業を掲げて、言いたい放題の言いようである。海を泳ぐサメやクジラの口内からプラスチックが出て来たことを知っている筈である。彼は、プラスチックを良いと言っているわけではなく、紙製ストローが使い難いと言っているのだが、トランプ語録に便乗するような言い方は止めてもらいたい。こういう科学的根拠のない出まかせを言うような人間がテレビで減らず口を叩く図をあまり見たくない。テレビ局ももっと慎重、かつ公平にテレビ出演者の人選を進めて欲しいと思う。
今日もまた寒い1日となった。日本上空は強い冬型の気圧配置となり、東北方面や関東北部も山沿いでは雪が降っている。東京都内の最高気温は7℃だったという。今日は外出しなかったが、テレビで映し出される大雪の情景には、現地に住む人々のご苦労が思いやられる。最高の積雪は青森県酸ヶ湯温泉の499㎜だった。これでは戸外では何もできないだろう。学生時代と社会人になってから山登りの帰りに1度訪れここの温泉に浸かったことがある。その時はいずれも夏だったので、今の光景とは大違いである。まぁ無理だろうが、また1度はここで温泉に浸かってみたいところではある。それにしても先月以来腹具合が悪く、何度か病院やクリニックで検査をして診てもらっているが、どうもすっきりしない。
6490.2025年2月18日(火) 小中高でデジタル教科書を使用?
現在衆議院予算委員会で新年度予算案を巡り与野党が協議を続けているが、少数与党となった自民・公明両党が野党に歩み寄るケースが多く、特に今与野党とも注目している教育関連予算案では最後の詰めを行っている。この過程で大阪府の公私立高校までの授業料無償化の例に鑑み、日本維新の会は高校授業料支援に最大63万円への引き上げを主張したが、石破首相との会談で全国の私立高授業料の平均額である45万7千円引き上げで調整している。同時に910万円世帯の所得水準のハードルを撤廃することを強く要求している。この他にも小中学生の給食費の無料化を求めている。やや野党に押されっ放しの与党としては、どう決着をつけるだろうか。
それにしても、教育関連費を支援するのは、いかに少子高齢化の時代とは言え、我々の世代から見ると羨ましいばかりである。多分両親が生きていたら、苦労して我々5人の息子、娘を育て上げ大学まで通わせたことが走馬灯のように思い出されることだろう。今の金額で換算するなら、概算で1年に相当な教育支援金の補助をいただいたことだろう。
教育支援金については、子を持つ家庭にとっては経済的に大いに助かり有難いことである。ただ、現在進めつつある教育の根幹である教科書の取り扱い方には、問題があると思っている。
2018年に「学校教育法等の一部を改正する法律」が実施されることにより、翌19年4月からこれまで当たり前と見られていた紙の教科書の一部を小中高でデジタル教科書に代えて使用することが、認められることになった。19年度から紙の教科書の「代替教材」としてデジタル教科書が小中高で使用を認められている。実際には学校現場での導入は一部の実験校を除いて実現されていないが、25年度から小学5年生から中学3年生を対象に英語や数学などで本格的に使用を始め、30年度には、正式な教科書として導入が検討されるようだ。
だが、どうも素直に納得出来ないのは、教育に煩い中央教育審議会(中教審)がデジタル教科書を紙の教科書と同じように、「正式な教科書」と位置付けることを適当であるとして、「紙とデジタル」を組み合わせて形式も認めるべきだと答申したことである。本当にそう考えているのだろうか。
というのは、このデジタル教科書には難題が目白押しである。モバイルモニターをひとり一人の小学生が持ち、担任教師からの指導をその画面を通じて受けるというのはどんなものだろうか。昨今小中高生が、スマホ、特にゲーム遊びに熱中して勉強も疎かになり、視力も減退したという声をしばしば耳にする。これに便乗?するようなことを文部科学省が容認するとは、そもそもおかしいのではないかと首を傾げざるを得ない。また、生徒たちは教室内でひたすらモバイルモニターを見つめて、教師やクラスメートの顔を見なくなってしまうのではないか。低学年生であればあるだけ、教師と生徒、生徒同士が顔を見て、目を見て会話をするというのが理想ではないだろうか。生徒用のデジタル教科書の他に、教師のための指導者用デジタル教科書、及び指導者用デジタルブックがあるようで、指導する教師に対しても指導が行き届くよう配慮はしているようだが、教育というものは対面で行うのが基本であり、最も効果的ではないだろうか。昔の寺子屋の考え方からするなら、吉田松陰にはとても考えられない教育方法だろう。