6629.2025年7月7日(月) 七夕は、おとぎ話と戦争と関係あり

 今日は七夕である。1年に一度7月7日の今日、織姫と彦星が天の川を渡ると出会える特別な夜のことである。中国から伝わった風習も取り入れられた日中合作のおとぎ話になっている。本来旧暦に則っていて、現代なら8月7日に当たり、夜空には天の川が良く見える日であるが、残念ながら新暦ではまだこの天の川は見ることは出来ない。

 今日は、令和7年7月7日というラッキーセブンが3つも重なるトリプル・ラッキーセブンの日であり、きっと何かラッキーなことに見舞われるかも知れないとつい期待したくなる。

 ところが、歴史を振り返ってみると、7月7日は決してラッキーセブンではなく、むしろ歴史的には忌まわしい1日だった。私が生まれる前年の1937年の今日、あの盧溝橋事件が起き、旧日本軍は中国大陸へ進駐し日中戦争が始まった。そして大日本帝国は太平洋戦争へのめり込んで行った。日本の暗黒時代に入った日とも言えよう。海外では他にも忌まわしい事件があった。戦火が拡大し、8月15日の終戦1か月前の1945年の今日、帝国陸軍が進駐していたビルマ(現ミヤンマー)のインド人集落カラゴン村で陸軍第33師団歩兵第215連隊による住民大虐殺事件が発生した。日本軍とビルマ憲兵隊が、村民を英印軍と通じたスパイと判断し、彼らを拷問して637人を殺害したとされる。戦後ラングーン(現ヤンゴン)で開かれたイギリス軍によるBC級戦犯裁判で、首謀者らは絞首刑など厳しい判決を下された。

 ビルマには30年間に30回近く訪れ地方の旧戦跡地へも出かけ、ビルマの人たちとも楽しい交友関係を続けていたが、このカラゴン村事件や、その土地についてはまったく知らなかった。数回訪れたことがあるモールメンから50㎞ほどの土地のようだが、現地でこの事件については耳にしても良さそうなものだが、ついぞ聞いたことがなかった。この事件については、第215連隊が群馬県高崎市で編成されたせいであろうか、地元高崎市内では事件について地道な研究が行われているという。

 今年は終戦80年という記念史的な年でもあり、今朝の新聞にも全面広告で日本原水協より意見広告が掲載され「被爆80年 私たち被爆者は日本政府に核兵器禁止条約への参加を求めます」と、長崎被爆者で被団協の田中熙己氏と広島被爆者のサーロー節子氏が被爆者の立場からごく当然の意見を述べている。

 終戦の年は、アメリカ軍の本土攻撃が大分激しくなったが、七夕の今日は「七夕空襲」があり、千葉市、甲府市、清水市、明石市にかなりの焼夷弾が投下され、一晩で2千人以上の人が亡くなった。その残り火のせいか、今日も暑く、都内では35.6℃で今年初めての猛暑日となった。全国的にも岐阜県多治見市で38.8℃を記録し、これは今年国内の最高気温である。

 いずれにせよ、七夕が戦争との呪わしい関係で思い出されては残念で、折角子どもたちにとって童謡に唄われた「たなばたさま」のイメージが台無しである。このカラゴン村事件を忘れるために、子どもたちが愛唱する歌詞を書いておこう。

 ♪ささの葉さらさら のきばにゆれる お星さまきらきら きんぎんすなご

          ごしきのたんざく わたしがかいた お星さまきらきら 空からみてる♪

2025年7月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com