充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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7027.2026年8月9日(日) 81回目の長崎原爆平和祈念式典
3日前の広島に次いで、史上2番目の原爆が投下された長崎市内の平和公園で、今日午前10時45分から約1時間「長崎平和祈念式典」が開かれた。出席者は広島よりやや少ないが、世界98カ国と地域、及びEUと台湾の代表が出席した。長崎への原爆投下による犠牲者の数は、1945年末までに約7万人、その後の死者を合わせて約20万2千人である。
式典で挨拶された高市首相は、「我が国は、『非核3原則』を堅持しており、『長崎を最後の被爆地に』という誓いの下、『唯一の戦争被爆国』の使命として『核兵器のない世界』の実現に向けた現実的、かつ実践的な取り組みを推進しています。先般の『核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議』は、厳しい国際安全保障環境の下での開催となりましたが、我が国は、被爆地の方々の思いを伝えながら、NPTの維持・強化に向けた結束を各国に呼びかけました」と述べたが、相変わらず「非核3原則」を堅持していると本音ではない発言をしている。危ういものである。
2018年に国連総長として初めて出席したグテーレス国連総長が発したメッセージを、中満泉事務次長が代読した。メッセージは、「核実験禁止という国際規範も脅かされている。世界の軍事費は昨年2兆9千億㌦に達した。年々戦争のリスクが高まっている。例え、激しい対立の時代でも協力、進歩が可能であることは歴史が示している。長崎が示した核戦争の真の恐ろしさについての教訓に耳を傾ける必要がある。この81周年の記念日に、被爆者の勇気を言葉だけではなく、行動で称えようではありませんか。国連はこの目的を達成するため、皆さまとともに歩むパートナーとなることを切に願ってやみません」という内容だった。
鈴木史朗・長崎市長は、「長崎平和宣言」で「大国による力の支配が横行し、核軍縮に逆行する動きが加速していると危機感を表明し、『長崎を最後の被爆地に』するため、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け、歩み続ける」と語った。
広島でもそうだったが、原爆を投下してこのような慰霊祭を毎年開催するようになったのは、アメリカのせいであり、平和を前向きに希求しようとしないアメリカは、グテーレス国連事務総長とは考えが異なり、今日も罪の意識は表さず、メッセージすら送って来なかった。
広島市のケースと同じように、2度と原爆は投下しないとか、核兵器は使用しないとか当然のメッセージは発せられるが、現実問題としては核兵器使用の一歩手前にまで追い詰められている。それは、核を保有国がなくす意図がないことが昨今の国際情勢から推察できる。国連の安保理事会5大常任理事国のアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国がすべて核保有国であり、核放棄を考えない以上核廃絶は残念ながら「夢のまた夢」と考えざるを得ない。被爆者も年々年を重ねて、平均年齢は86歳となった。式典には出席しているが、今年も高市首相と被爆者団体は会うことになっているが、被爆者から首相への発言は止められ、握手だけという決まりだそうだが、これではお互いに会う意味がないのではないだろうか。
このような状況から察すると、悲しいことであるが、再び核は遠からず使用され、広島、長崎以上の災禍が地球上のどこかで現実化するのではないかと思うとゾッとする。
7026.2026年8月8日(土) 高齢者には健康が一番気がかり
暑くなってくると間もなくやって来るお盆を思う。今年のお盆は、13日(木)から16日(日)までの4日間であるが、11日(火)が祝祭日「山の日」なので、10日、12日の平日に休みを取って今日8日(土)から16日(日)までを9連休とするサラリーマンが結構いるようだ。
8月というと、15日の太平洋戦争終戦記念日の他に6日広島原爆記念日、9日長崎原爆記念日があり、否が応でも残忍な戦争と関係のある日が思い出される。
炎天下に甲子園では夏の高校野球が行われている。実は、昨日地震で被災した熊本県代表校の有明高校が、春夏を通じて初めて出場した。同校は1961年に荒尾市に創立された私立校である。大地震の直後だけに熊本県民はもとより、日本各地から熊本県を代表する高校への応援の声が聞かれた。試合は京都代表校の立命館宇治高校と対戦し、終盤ファンを熱狂させた。試合は最後まで有明が2-3と劣勢だったが、9回表に2死満塁から一気に4点を獲得し逆転して、そのまま逃げ切り逆転勝ちを勝ち取った。これには避難所でテレビ観戦していた被災者も涙を流して感激していたというから、正にドラマと言えよう。有明高はこのままどこまで勝ち抜けるだろうか。応援する被災者にとってはこれからも大きな希望である。
さて、先月末に整形外科医に左膝と両足ふくらはぎが最近痛むという話を聞いてもらったうえで、その時まで毎日1日平均6千歩以上を歩いていたウォーキングについて、今後これをどうしたら良いか伺ったところ、年齢的にも無理するのは良くないし、膝が痛いなら歩行数を減らしてはどうかと言われ、そうすることにした。また、痛みを和らげるために膝とふくらはぎに湿布をすることにした。そして今月に入ってからそれまでの1日6千歩をペースダウンして、4千歩以上にした。今は暑い盛りでもあるので、夕陽が落ちた6時前後に出かけているが、時間的にもこれまで35分程度を費やしていたが、30分以内にして、歩くコースも1ブロック分減らした。また、両足のふくらはぎ周囲にそれぞれ湿布を貼り付けている。これによってどれほどの健康面の効果が出て来るか、2~3カ月間様子を見てみようと思っている。
年齢を重ねるに連れて年々健康面で痛みとか、気になる点が表れて来る。定期的に毎年人間ドック検査を受けているので、大病や発見し難い症状は事前に何とかチェック出来るが、小さな痛みとか、高齢者が罹りやすい症状はどうしようもない。食事はカロリーとか、野菜類を取るよう妻が気を付けてくれているし、牛乳とヨーグルトは毎日欠かさず飲んでいる。幸い睡眠は若いころと変わらず1日7時間は取れているし、床に就けばすぐ眠れる習性は以前と変わらない。せめて、認知症には近づかないよう気を付けて極力新聞、雑誌を読み、文章を書き続けて活字から目を離さないよう気を付けている。
友人の中にはひとり、ふたりと年々天国へ旅立つ仲間が増えてきた。そうでなくても同い年の友人が2人、今脊柱管狭窄症になっている。ひとりはもう10年ぐらいになるが、もうひとりはつい最近のことである。若いころは、私も健康体だったので、あまり健康には注意を払わなかったが、今では健康体こそが最も大切な自己資産だと思っている。これからも無理せず、アドバイスされた健康管理、そして認知症防止のために文章を書き続けることを年寄りの習慣としてしっかり守っていきたい。
7025.2026年8月7日(金) ベスビオ火山噴火に新たな発見
『NATIONAL GEOGRAPHIC』日本語版8月号の特集に、「古代ローマ~噴火が封印した日常」と題して、西暦79年にイタリアのベスビオ火山が、大噴火を起こし火砕流が流れ出し近くの都市を壊滅させた爆発について、今まで知らなかった新情報が紹介されていた。埋没し掘り起こされたポンペイの遺跡の近くに、他に2つも同じような都市遺跡があることを初めて知った。初めてポンペイを訪れたのは、ちょうど半世紀前の1976年9月だった。以来何度かポンペイを訪れているが、案内してくれたガイドは、ポンペイ以外の遺跡について語ることはなかった。
その2つの遺跡はいずれもナポリ湾に面しており、噴火と同時に火砕流によって潰され流された物財は湾の海底に沈んだことであろう。そのひとつはオプロンティスという農業関連の産業で栄えた集落であり、もうひとつはヘルクラネウムといい、漁村であると同時に文化の拠点でもあった。ここには当時「パピルス荘」という別荘があった。そして有名なポンペイである。これら3つの街があったカンパニア地方は、当時豊かに繫栄してエリート階級に人気の保養地だった。同時に、商業、特に貿易や農業の中心だった。火砕流によってこれらの街は20mも積もった噴出物の下に埋もれてしまった。3つの都市のイラスト風の絵を見ていると当時の豊かな生活ぶりが想像出来る。爆発と同時に破壊されてしまったが、煙の高さは3万4千m、火砕流は時速100㎞で山肌を流れ下って行った。幸い人間や物財はかなり原形を留めていた。
ベスビオ火山、及びその爆発には今以て知られていないことが多い。現地でも未知の部分が多く、調査が進められている。年齢的に考えて私自身もう訪れることはないと思うが、この事実をしばしば訪れた時に知っていれば、ポンペイより大分火山に近かったヘラクラネウムを見学して新しい関心事を見つけていたかも知れない。最も驚いたのは、ヘラクラネウムのパピルス別荘にあって超高温の火砕流にともに呑み込まれてしまった図書室の巻物である。その巻物が革のケースに入れられたまま火砕流を浴びた状態で発見された。それを今流に開こうとすれば、崩れて灰になってしまうとの理由で、AIと3D画像化の技術を組み合わせて見る方法を考えたという。そしてびっくりしたのは、現実にアクティウム海戦の最中に自殺を考えていたクレオパトラについて語られていたということである。実際その巻物のストーリーを誌上の写真に見てただ驚いている。2千年もの長い年月を経過して当時の巻物の内容を保存性の高い金属板からではなく知ることが出来るとは驚異的なことであると思う。
日本は最近熊本県で発生したように地震が多い。しかし、ベスビオ火山のような爆発的な噴火はなかった。ベスビオ火山の噴火自体が今では興味深い過去の現実であるが、あまり例がない事象であり、興味深い。この月刊誌はいつ何度読んでも楽しく飽きるようなことがない。これからも繰り返し読んで楽しみたい。
7024.2026年8月6日(木) 残虐な広島原爆投下から81年が経過
今日広島では戦時中アメリカ軍による原爆投下から81年になる「原爆の日」を迎えた。犠牲者の数は約14万人に上がり、平和記念式典で奉納される戦没者名簿は今年で35万余人になる。平和記念公園で朝8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が行われ、過去最多の121の国と地域の代表が出席した。その中で、世界で唯一の原爆加害国で、責任が重いアメリカのジョージ・グラス駐日大使は出席せず、代理としてスナイプ首席公使が出席した。大使はつい数日前に広島と長崎は世界に平和と希望をもたらす象徴であると述べていながら、どう心変わりしたのか、この期に及んで駐日大使として日本との重要な絆である原爆記念式に欠席したのである。過去に欠席したのは一昨年のエマニュエル大使だけである。本来ならこれほどの犠牲者を生んだ大量殺人をやってのけたアメリカは、平和への願いと同時に、反省とか、謝罪のメッセージを送るべきであるが、他国のことはどうでも好いと考える国だけに流石にそれは期待出来そうもない。
核保有国であるロシア、中国、北朝鮮などは政治的な理由で欠席した。どうもこの現象を見ていると核保有国は、原爆投下に必ずしも反対せず、核保有を今後も継続するようだ。被爆者がいくら反対しても、これらの国々は自国の都合で核放棄を決断する気持ちがない。
式では、冒頭に松井一實・広島市長が平和宣言で、多くの為政者が核抑止力に依存し続け、核兵器のない世界は遠のく一方だと危機感を示し、そのうえでひとりひとりが核兵器廃絶を理想で終わらせない国際社会を創り上げるための行動を起こす必要があると市民に呼びかけた。
高市首相は、わが国は「非核三原則」を堅持しており、「唯一の戦争被爆国」として、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力をたゆまず続けていく使命を担っていると述べたが、実際に「非核三原則」をこれからも堅持出来るかどうか怪しいものである。先般の「核拡散防止条約(NPT)再検討会議」の結果のように、「核兵器のない世界」に向けた道のりは、決して平坦なものではない。だからこそ、その歩みを止めるわけにはいかないとも語った。しかし、広島市民の気持ちを充分理解しているのか疑問である。これは、小泉進次郎・防衛相の直近のコメントにも政府の核に対する考えが表れている。防衛相はインターネット番組で、安全保障政策について触れざるを得ないのは核の問題であり、あらゆる政策をタブーなく議論し、進めなければならないと語った。
これに対して長崎の被爆者ら32団体が被爆者の思いを無視していると防衛相に抗議した。首相の考えも小泉氏と50歩百歩である。すでに核問題は既成事実として、反対を押し切っても前へ進めようとの意思を感じる。アメリカへの配慮のあまり、原爆に対する恐怖を軽視している。「非核三原則」は、潰されるのではないかと不安でならない。3日後に開催される「長崎原爆の日」でも同じような経緯となるような気がして仕方がない。
さて、この暑い盛りではあるが、昨日第108回全国高校野球大会が甲子園で開会式を迎えた。第100回開催時に酷暑の中で戦う選手の健康に配慮して、いくつかの新たな取り組みを導入した。延長戦の場合はタイブレーク制採用、水分補給のための5回終了時点で8分間のクーリングタイムの導入、日中の炎天下を避け朝夕の2部制施行、女性審判の登用、などであるが、主催者朝日新聞社の公告が前例のないものである。朝の部と午後の部では入場者は総入れ替え戦で、このため開会式の入場者が少なかった。これは、一般向けの入場券はインターネット販売による全席指定・前売りを原則にしていることである。従来とは随分変わったなと思う。実際テレビを観ていて何となく雰囲気が変わったという印象がしている。
地震の熊本県代表校は有明高校で、入場行進の折には大きな拍手が寄せられた。手の空いた時には、テレビ観戦を楽しみたいと思う。
7023.2026年8月5日(水) 本も新聞も発行部数が減少した。
最近街の書店が次々と閉店して寂しいことに本屋さんがあまり目に入らなくなった。自由が丘駅前の広場に面した老舗の書店も昨年閉店してしまった。読書をする人の数が減ったことが最大の原因である。出版社なども何とか埋もれた読者層を掘り起こそうと図書フェアのようなイベントを開催しているが、効果は上がっているだろうか。読書ファンとして読書ブーム、図書ブームの再来を願って止まない。
ただ、最近の若い作家の書いた作品は、正直のところあまり面白くなく興味が湧かないのは事実である。若者特有の世界、若者特有の言葉遣い、現実感のない世界、等々いろいろ理由はあると思うが、我々読書好きな後期高齢者にはとても付いて行けないのだ。新聞の連載小説なども面白くないストーリーに、つい途中で読むのをやめてしまうことがしばしばある。知名度の高い作家の作品でさえ、退屈して途中で止める。これをブログに書いたところ、この種のブログはいつもGoogle Reportでは、アクセス数がトップ・クラスに入るほどである。
ここ30年ほどの間に書籍発行数も漸減している。ただ、販売金額総額としてはほぼ変わらない。つまり書籍価格が上がっているからで、問題が解決したわけではない。
実は、書籍販売数が減り、書店の数も減っている現状に合わせるように、新聞の販売も減少している。これには流行りのスマホが代替品としてあるが、それにしても最新のニュースを新聞で読み取る傾向が減じていることは事実である。
例えば、最近10年間の新聞購読数が大きく減じているのである。10年以上前には購読者数が1千万人を超えていた読売新聞が、1千万人から落ち、2016年には900万人にまでなった。それが今年初めには約525万人と半減した。この傾向は読売だけに留まらず、10年前に比べて朝日が約660万部から約315万部へ半減以下に減り、最近落ち目と言われている毎日が約310万部から約112万部とほぼ1/3に減少した。こうなると最早全国紙などと言っていられない。ここまで落ちるとこの先が心配である。多くの読者の支援を背に正論を伝えていた新聞社も、圧力に屈するケースも出て来るのではないかと懸念される。私は学生時代には新聞記者に憧れ、記者を目指したこともあったが、ある事情から記者になることは諦めた。それだけに新聞は情報源であり、執筆上の師だと信じて、毎日書くブログも新聞から得る情報が多い。新聞社は世論のリーダーが自分たちであるとの信念にやや溺れるところがあり、他の意見やアドバイスをあまり受け入れようとしない傾向がある。もう少し賢明な読者の声は素直にして謙虚に取り入れるようにした方が良いと思う。
今2つの新聞を購読しているが、これからも貪欲に読み、掲載記事を資料として活用し、ブログやエッセイなどに活かして行きたいと思う。それにしても書店と新聞発行数が減少したのは残念でならない。