充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
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6918.2026年4月22日(水) 好戦的軍国主義者高市首相の危うい考え
高市内閣の保守・右翼を通り越した軍国主義志向を大分懸念している。昨日国会の承認を得るまでもなく、国家安全保障会議(NSC)で武器輸出を規制する防衛装備移転三原則の運用方針を改定した。「救難・輸送・警戒・監視・掃海」に限っていた「5類型」を撤廃し、殺傷能力のある武器の輸出を全面的に解禁したのである。終戦後これまで戦争放棄・戦力不保持の平和憲法の下に認められていなかった武器輸出を安易に行うことになった。
そもそもNSCは、首相、官房長官、外相、防衛相の4大臣会合を中心に運営されているものだが、昨日はこの他に大臣5人が出席して官邸主導で開かれ、武器輸出を承認した。これまでの方針をガラッと変えて戦闘機や、護衛艦、潜水艦、ミサイル、弾薬など殺傷能力のある武器の輸出を、いとも容易に可能としているが、これに歯止めをかけていた過去の首相らの考えを無にするような判断に、相済まないとの気持ちはないのだろうか。また、一番肝心な国民への理解と納得を得ることをまったく考えなかったのだろうか。この決定には、国会の関与は為されていない。国会に通知するという形式的な行為だけでこのNSCの決定は承認され、武器輸出は止めるわけには行かない。はっきり言ってこれまで許されていなかった重大な決定事項である武器輸出を、9人だけの合意で決定したことになり、あまりにも国民軽視であると言わざるを得ない。
政府の軍国主義化は益々エスカレートしている。この日、防衛装備移転三原則の改定も閣議で決定された。メディアからは、「高市政権は、十分な議論もないまま武器輸出の政策を大転換させた」と批判されている。確かに三原則も運用方針も法律ではなく、国会審議は必要ないとされている。だが、それだけに、改定の方向性を決める上で与党の協議が必要である。かつて2023~24年の武器輸出政策に関して与党自公政権では11カ月間に27回も協議が行われた。だが、今回は4カ月間にたったの3回しか行われなかった。正に、与党高市政権にとっては「善は急げ!」の感覚である。過去の歴史を遡っても武器輸出の制限は、1967年佐藤栄作内閣が、①共産圏、②国連決議で禁じられた国、③国際紛争当事国、などへの輸出を禁じる「武器輸出三原則」を決めた。そして、76年には三木武夫内閣が、事実上全面禁輸の方針を示した。その後中曽根内閣、民主党野田内閣が三原則をやや緩和した。ところが、これを大転換したのが安倍晋三内閣だった。2014年新たに防衛装備移転三原則と運用指針を閣議決定し、5類型などの条件付きで輸出を認めた。そして、昨日高市首相は師だった安倍元首相が決定したその5類型を撤廃し、全面的に武器輸出を解禁したのだ。当時ユーモアの気持ちで受け取られたのは、三木内閣宮沢喜一外相の「我が国は兵器の輸出で金を稼ぐほど落ちぶれていない」の発言だった。実際日本経済が行き詰まって失業者が溢れ、生活が困窮した大不況に襲われようならまだしも、防衛産業を拡充するような国策は不必要ではないか。
これから高市政権が何を仕出かすのか不安でならない。偶々タイミング悪く、昨日大分県の陸上自衛隊演習場で戦車の砲弾が暴発して、3人の自衛隊員が死亡した。こんなことは自衛隊にとっても初めてのことである。段々防衛関連事象が騒がしくなる。究極的には、日本も戦争に参戦するようになるのではないだろうか。
6917.2026年4月21日(火) 人間の愚行はどうして止められないのか。
昨夕5時ごろ三陸沖を震源とする地震があり、最大震度5強を観測した。M7.7 で太平洋岸沖合には津波が発生し、北海道から東北地方福島まで太平洋岸沿いに津波警報が発令された。テレビでは夜のニュースでずっと津波警報、地震注意情報が伝えられていた。北海道・三陸沖後発地震注意情報は、今後1週間に亘り巨大地震への警戒を強めることを求めている。北海道から千葉県の広い太平洋側の地域には、今後後発地震で震度6弱以上の揺れ、或いは3m以上の津波が想定されるという。というのは、東日本大震災が起きた2011年3月11日の2日前にやはり大きな地震が発生し、その後1週間以内の揺れか、津波が予想されていたが、実際にその2日後に遥かに予想を上回る本震が東日本大震災となって襲って来た例がある。現地では当分の間警戒を緩めるわけにはいかないようだ。
また、この時節になると毎年特有の黄砂が中国大陸から吹き寄せる。今日も朝から曇りがちだったが、テレビでも曇り空は黄砂を表すことが多いということだったが、東京では少なかったようだ。今日はマスクとサングラスを付けてウォーキングへ出かけた。それにしてもこういう自然現象は、科学や人間の力によって止めるわけには行かない。止めて欲しいのは、人間が墓穴を掘る愚行である。
愚行と言えば、相変わらずアメリカとイランの停戦協議が世界中の人びとの目をくぎ付けにしているが、トランプ大統領の言うことがあまりにも朝令暮改過ぎて信用ならない。今日のニュースでは、イランとの交渉のため前回同様にバンス副大統領がパキスタンの首都イスラムバードへ向かったとSNSに投稿したが、別のニュースでは彼はアメリカにいると言う有様である。現場では、アメリカ海軍がホルムズ海峡でイランの貨物船を拿捕し、イランがアメリカ軍艦艇に対してドローンによる報復攻撃を行った状態である。このように一向に埒が明かない状態に石油の輸送が滞り、石油の価格が高騰したことによって石油関連商品の価格が大幅に値上がりしている。
今まであまり話題にもならなかったが、航空会社が燃料費の値上げにしびれを切らし、遂に乗客に対して燃油サーチャージの引き上げを5月1日から実施すると発表した。全日空ではヨーロッパ行や北米行路線を31,900円から56,000円に、韓国路線では3,300円から6,700円に上げる。また、日本航空はヨーロッパや北米路線を29,000円から56,000円に大幅に値上げする。今後更に大幅に石油が値上げされれば、また値上げを検討するという。
基本的には、石油価格の上昇がすべての物価の高騰へ繋がり、消費者物価を引き上げている。これは日本だけの問題ではなく、車社会のアメリカ国内でもガソリン高により消費者物価指数は、3月に3.3%も上昇し、これは約2年ぶりの上昇である。また、インフレ懸念が広がり、紛争長期化により労働市場の悪化を招く可能性があると憂慮されている。同時に、イギリスでも消費者物価指数は上がり、2月は対前年同月比で3%も上昇した。
トランプのバカは、自分たちの領域でない中東までやってきて、現地住民を苛めているのだ。アメリカが直ぐにも全軍隊を本国へ引き上げれば、世界中を悩ませているすべてのトラブルは即解決である。
6916.2026年4月20日(月) 異なる事情と環境の中でひとり旅
今日の朝日夕刊の記事によると、佐賀共生銀行では今春の入行前に新人9人に「旅行支援」金として1人20万円、本の購入費に4千5百円を支給したという。入行前にバイトをする新人がほとんどだが、銀行としては助成金を支給して視野を広げ、豊かな価値観や柔軟な考え方を育んでほしいと考え、バイトなんかに時間を使わず自由に旅行してもらった方が参考になるとユニークな試みをした。
皆出発前に課題を設定した。その結果9人の内、4人がひとり旅ではなく一緒だったがベトナムへ行き、他の5人は国内を旅行した。このように今ひとり旅がテレビ、雑誌などに紹介され広く関心を集めている。
実は、今市販中の隔月間誌「男の隠れ家」5月号には、「さすらい、ひとり旅のすすめ」と題して、「珠玉の旅エッセイ20」のテーマで20人のひとり旅が紹介されている。幸いにもその20人のひとりとして私自身も、拙稿「ジャカルタ郊外ボゴールへのひとり旅」を掲載してもらっている。また、昨年10月に朝日新聞では「若者のひとり旅」とのテーマで2回に分けてその理由と魅力、様変わりの様子などを特集記事として取り扱った。
「ひとり旅」と一口に言っても時代によってその様相、条件、利便性、環境などが大分変った。1964年東京オリンピックが開催された年に、日本人の海外旅行が自由化され、誰もが海外旅行を楽しむことができるようになった。ただ、当時と今では旅行の利便性や旅のやり方、楽しみ方が大分変った。当時はひとり1回500㌦(1㌦=360円の固定相場)までしか外貨を持ち出せなかった。このため1967年にひとり旅をした時は、アフリカや中東を3週間ぶらぶらしていたので、極力無駄遣いは避けて節約せざるを得ず、ホテル宿泊ではなく自分用の寝具シュラフテントを持参したものだ。加えて、アフリカでは面倒なのが予防接種で、特に黄熱病の予防注射は1週間間を置いて2度もしたり、出発までの準備も今のように簡単なものではなかった。今では交通機関も整って移動も楽にできるが、昔はそうは行かなかった。その点では私が海外ひとり旅の実行を決意したのは、ベトナム戦争であり、小田実の「何でも見てやろう」と、沢木耕太郎の「深夜特急」を読んで旅の本質に目覚めさせられ、60年前の1966年初めてひとり旅を決断するに至った。
また、現地の人びととの会話も未熟な英語とジェスチャーで押し通し、彼らと話し合って彼らの自宅に招かれるような間柄となって交流を深めることができた。冒頭の雑誌にひとり旅について書かれている人たち20人の中でも、僭越だが、私が一番年長で昔の海外事情を知っていると思う。その頃は怖いもの知らずで「猪突猛進」したことから、度々身の危険を感じたこともあった。特に、ベトナム反戦デモにも参加したことがあり、今のイラン戦争と同様、戦時下のベトナムに行き、いかにアメリカ人が身勝手で理不尽な行為を行っているかを臨場感により知った。ケニアやエジプト、タイでは長距離列車に、またケニアとイランでは長距離バスで、長い乗車の間に知り合った現地の人びとと他愛ない会話を交わしながらも、親しくなってその土地で訪れるべき場所を教えてもらったり、彼らの考え方を知ったり、宴会にまで呼ばれるほど楽しいひとときを過ごすことができた。
去る17日に電車内でオランダ人カップルから言葉が聞き取れなかった時に、スマホに英語で表示して質問してもらったようなケースは今だからこそできることで、60年も昔はこんなことは想像もできなかった。その点で、今のひとり旅はある程度AIなど機器に頼り楽に旅することができるが、昔はひたすら「歩いて歩いて」行きあたりばったりに行動するという状態だった。それが故に、戒厳令下のヨルダンの首都アンマンで、ヨルダン兵士に突然銃を突き付けられ、市内を連行され、一時この世の終わりを悟ったこともある。
以前と今ではひとり旅が本人の気持ちはもちろん、旅行事情の変貌、旅行先の環境などが大分異なっていると思う。いずれにせよ海外ひとり旅によって知ったことや目覚めさせられたことも数多くあった。もう年齢的に無茶なひとり旅は難しいが、生まれ変わったらまたひとり旅に嵌ることだと思う。
6915.2026年4月19日(日) 今夏は、「酷暑日」が何度やって来るか。
4月に入ってから陽気も不安定で気温のアップダウンが激しいが、それでも少しずつ暖かくなっている。間もなく昨年同様に暑い夏がやって来るかと思うと厳しい覚悟が求められると思う。今日都内の最高気温は25.6℃で今年初の夏日だった。最高気温は山梨県韮崎市の29℃だった。これから先を考えると少々憂鬱になる。
一昨日気象庁は、最高気温が40℃以上の日を「酷暑日」と決定したと公表すると同時に、国民に一層の警戒を呼びかけることになった。年々真夏の気温が上昇しているが、35℃以上の日を2007年から「猛暑日」と呼んでいたが、2018年から毎年最高気温が40℃以上の日を記録するようになった。過去の記録によれば、1927年に初観測を記録してから今日まで40℃以上を108回記録したそうだが、この内昨年25年だけで30回も観測し、8月5日には群馬県伊勢崎市で国内史上最高の41.8℃を記録した。この過去の気温の傾向を観ていると、この先が思いやられるというものだ。
しかし、考えてみるとただ炎暑を冷房とか、戸外へ出ず仮に出ても日陰を歩くというような工夫でしのげるなら良いが、暑い盛りに日中戸外でプレイするスポーツなんかは、どうしようもない。昔は屋外ゲームでは、プロ野球も試合は日中の暑い時に行われたが、かなり以前にナイトゲームが主となり、選手らはもちろん観客にとっても救われたと思う。真夏に甲子園で行われる全国高校野球大会は、12時前後の最も暑い時間帯を避けて午前中と午後遅い時間帯に試合時間をずらしたり、試合中に水分補給の時間を取ったりして高校生の体力を消耗しないような工夫も成されている。
学生時代には山岳クラブに所属していたので、真夏の北アルプス縦走合宿など随分日射の強い山道を歩いたものだ。その日射がこれから強くなり、連続して酷暑日になったら登山も厳しい選択を迫られるのではないかと思う。
今月7日朝日新聞「ひと」欄に「世界7大陸の最高峰に海から徒歩で昇る冒険家」として35歳の吉田智輝さんという登山ガイドが紹介されていた。海から山頂まで歩く‘Sea To Summit’と称して富士山も駿河湾から山頂まで歩くようだが、これは実際にやった会社の山岳部友人がいる。だが、エベレストなんてインドの沿岸からインド、ネパール、チベットを歩き通してエベレストに行かなければならず、そんなに簡単ではない。この若者は、これまでにオーストラリアのコジウスコ(海抜2,228m)、イランのエルブルーズ山脈のダマヴァンド(5,610m)、ケニアのキリマンジャロ(5,895m)、南米アコンカグァ(6,961m)、北米の旧マッキンリーのデナリ(6,190m)を踏破して、世界7大陸の6峰目としてエベレストを目指し、来年2月に出発して5月の登頂を目指すということであるが、ガンジス川をカヤックで1カ月余をかけるという。これまでしばしば紹介されるのは、世界7大陸最高峰登頂という肩書で、実際には海抜の半分程度しか登っていないが、この青年のように海抜0mから頂上までを完全にクリア登山するという人はいなかった。これも新しい挑戦かも知れないが、本人にそれだけの根性と体力、根気の他に経済的な裏付けが必要だと思うと、そう誰でも挑戦できるものではない。しかし、こういう人が現れると大きな励みになる。
6914.2026年4月18日(土) 世界中に嫌な言動が溢れている。
新聞を読んでいると嫌なニュースが目に入ることが多い。特に今日の朝刊は政治的なバッド・ニュースばかり目に入って来る。
そのトップ記事は、大好きな国ミヤンマーで2021年クーデターにより当時の民主化指導者であった国家顧問アウンサンスーチー氏らを拘束し、軍事政権が始まったことである。その後軍事政権は、アウンサンスーチー氏らを減刑にしたが、とても受け入れられるものでない。すでに5年余りも身柄拘束されているスーチー氏を新政権の恩赦により、改めて減刑するというものである。しかし、その減刑とは、33年→27年から、今回改めて4年減刑して23年としたものである。だが、スーチー氏の80歳という年齢を考えると、依然として終身刑と変わるものではない。しかも今以てスーチー氏がどこにいるのか居場所も明かされていない有様である。クーデター当時大統領だったウィンミン氏は今回解放された。ミヤンマー国民から広く敬愛され、ミヤンマー独立の父だったアウンサン将軍を父親に持つスーチー氏は、国軍政府にとって最も警戒すべき政治家であり、このまま処分が軽減され身柄を解放されることは現状では望み薄である。ミヤンマーを心より愛する人間にとって忍び難いスーチー氏の身柄拘束である。
次のニュースは、現代社会にあって思うがままに権力を行使して国際政治の舞台でやりたい放題のアメリカ・トランプ大統領の野卑で無鉄砲な行動には、世界中が呆れているのが現実である。しかし、本人はそんなことは一切気にもせず、ひたすらゴーイング・マイウェイである。イラン情勢の緊迫感が続き、世界経済の減速懸念が強まる中で、20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議がワシントンで開かれた。日本からは片山さつき財務相と植田和男日銀総裁が出席した。この前日開かれた主要7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁会議をこともあろうにアメリカのベッセント財務長官は欠席したが、この日のG20 会議には議長として出席はした。だが、何と会議の半ばで退席し、議長国の記者会見も開かれず、共同声明もまとめなかった。今回アフリカ唯一の参加国である南アフリカは、アメリカから出席を認められず欠席した。この会議以前にトランプ大統領が、南アで白人が迫害されていると批判し、議長国として南アを招待しないと語っていたことが現実となった。アメリカが議長国であるにも拘らず、我が儘な言動で説明もなしに世界的に重要な会議を一方的にボイコットするとは何事であろうか。
こういうアメリカの身勝手で無責任な行動や、態度が国際社会に不安と不信感を与えて世の治安を乱している。困るのは、このわがまま一辺倒の大統領の言動を、政権内には良識がないのか、誰も止めらっれないことである。アメリカのせいで、世界の物価が上昇し、物資が不足し、戦争が頻発する。この荒れ放題の地球をどうやって平和な世にすることが出来るのか。21世紀にアメリカが地球上にもたらした荒行と危害は、後世の人びとに拭い難い屈辱と傷を心に残すことだろう。
地球上に不幸を振りまくアメリカに1等国の資格なんてとてもない。途上国だ。思い上がるなと言ってやりたい。