充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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6954.2026年5月28日(木) フェルメールの名画、大阪で展示
朝日新聞社主催によるフェルメール展が開催されると、突然のように今日朝刊で知って驚いている。オランダではアムステルダム国立美術館、ゴッホ美術館、そしてデン・ハーグにあるマウリッツハイス王立美術館を訪れたことがあり、世界的な名画を鑑賞した。そのなかでマウリッツハイス美術館にあるフェルメールの名画「真珠の耳飾りの少女」はあまりにも有名であるが、その名画を所有する美術館の工事期間中に日本で鑑賞できるとの朗報だった。8月21日から1カ月余の期間に大阪中之島美術館で開催されるが、残念ながらもう一度見てみたいと思いながらも、見に行ける可能性はあまりない。
実は、この名画は「モナリザ」に匹敵すると言われるが、実際画像を見ていると惹き込まれそうになる。現地ハーグで実物を見た時の印象が強く頭に残っている。ところで、この絵の模造画が、今日診察に訪れた東京医療センターの外科待合室の壁に以前から掲げられ、この絵画がここに展示されているのは、何か理由があるのかと気になっていた。今日改めて待合室外から眺めてみた。模造画ではあるが、やはり好い絵画だと思っている。
昨日この展示会開催のためにブルッフ駐日オランダ大使が記者会見まで開いた。よほどオランダとしても国家が誇る宝物なのだろう。美術館工事が終わり次第、この名画が美術館から展示場所を離れることはないだろうと実物を現地以外で鑑賞する最後のチャンスと述べた。鑑賞の条件も中々厳しいようで、申し込みは抽選で、入場券も一般客は3千円というから、並みの催しとは違う。
久しぶりにオランダの生んだ天才画家の絵を偲ぶことになったが、他にも同じマウリッツハイツ美術館で見たフェルメールの「デルフトの眺望」と、アムステルダム国立美術館のレンブラントの大きな絵画「夜警」とフェルメールの「牛乳を注ぐ女」が強く心に残っている。
ついては、今日は2か月ぶりに東京医療センターで定期健診してもらった変形性関節症のその後の経過は、良くなったと言えるほどではないが、医師からも数値は良くなっていると言われた。毎日両手指の屈伸運動を行っているが、悪くはならないものの良くもならない。担当医師は、これは遺伝性もあるからこれ以上良くはならないだろうとがっかりするような言葉を述べられ、それでも服用薬の量は減らすことになった。先日糖尿病クリニックの医師からもほぼ完治に近いと言われたが、今日計測したCRPは0.29で、HbA1cは5.9だった。
さて、私が生まれた生家の近くにある東京都中野区の中野サンプラーザが再開発を視野に、新しい建物に作り替えられるという主旨の下に、検討されていたが、近年の物価、特に建築費用高騰の影響から計画が宙に舞ってしまった。当初の計画では、2025年度に着工し、28年度に完成の目標だったが、それが29年度に延期された。そして区は21年に野村不動産に総事業費1,810億円で主たる事業を認可していた。ところが、24年に野村が総事業費は予定額を900億円上回るとの申し出に計画はストップしてしまった。25年に中野区は再開発計画を白紙に戻すと表明し、野村との協定も解除した。
今年3月になって中野区は事業計画の見直しを示し、事業者を再募集して30年度に着工し、34年度完成を目指すと公表した。何と杜撰な事業計画であろうか。この間現存する旧施設はただ固定資産税を払うだけの物件となってしまった。自治体の無駄な資産には、使い道を誤るところが多い。あの立派な中野サンプラーザが幽霊施設となったのは、区の不勉強もあろうが、区民の共通の資産であるとの認識に欠けるところがあったからではないか。新しい事業計画が果たして実行できるのか、不安しかない。
6953.2026年5月27日(水) 違法発言をSNSから削除しない維新代表
一応理事を務めているNPO[JAPAN NOW観光情報協会]の本年度通常総会が、渋谷で開かれた。昨年は欠席したので、今日は出席しないといけないと覚悟をしていた。とにかく渋谷駅周辺は新しい大きなビルがいくつも建ち、東急渋谷駅を中心にJRと地下鉄も駅周辺を大きく変えたので、分かり難くなった。
小さなNPOなので、例年通り理事長による決算報告書と事業計画を報告し、全員拍手で承認ということになった。総会の後は、予定されていた講演会である。イタリアに30年ほど生活して、3年ほど前に帰国した女性会員による「イタリア社会の底力~変化する都市ミラノに30年暮らして」と題する講演テーマだった。古代歴史を作ったローマ人の子孫であるイタリア人には、個性的な面が多い。彼女も今日その点をいくつか述べていたが、私が現役中に文部科学省主催の教員海外研修団を取り扱った20数年間に、感じたのはヨーロッパを訪れる研修団で一番訪問先の対象となるのはイタリアだった。歴史で学ぶことが多いせいか、日本の先生が訪れて観光地をじっくり鑑賞しているのはイタリアだった。講師の話からも日本人にとってイタリアは最も興味を惹く外国ではないかと思っている。講師がイタリア人の個性的な性格や考え方を政治とコロナ対策両面から解説された。その点では、やはり現地に長い間居住していないと気が付かないような話を彼女なりに話された。大分参考になった。
さて、先日本ブログに厳しく指摘したつもりだった国会議員の無法的行為を批判したが、当の議員には一向に反省の様子が見られない。「日本維新の会」藤田文武・共同代表がSNSに日本共産党赤旗日曜版記者に痛い点を暴かれた腹いせに、記者の名刺画像を無断で投稿し、それを見た男性が藤田議員の投稿を参照して記者を中傷するような投稿をしたことである。男性はすでに赤旗記者に対して謝罪し、投稿を削除した。しかもその原因を作ったのは藤田議員の記事内容から中傷的な投稿を行ったと広言している。それにも拘らず藤田議員は、SNSの投稿を削除せず、その影響を残したままである。藤田議員の行為は、朝日、毎日、信濃毎日、琉球新報などメディアでも取り上げられ、厳しく批判されている。ちょっと気がかりな点は、普通の新聞ではなく、共産党機関紙に追求されたから行ったことで、もう一人の代表・吉村洋文大阪府知事の如きは、読売とか毎日にこんなことをやったら絶対ダメだが、赤旗は共産党の機関紙だから許されるような発言をしていたことである。報道への反論、批判をするだけなら名刺を晒すことはないと語っていたが、語るに落ちた発言となった。
この発言は訂正されることもなく、SNSへ名刺をアップしたままである。メディア全体にとっても維新代表らによるバカにされたような言動ではないだろうか。他のメディアとも協調して、一体となって維新の思い上がった行為を取り下げさせるべきではないだろうか。保守派強くなる一方だが、対するリベラル派は弱体化しているのではないか。
6952.2026年5月26日(火) 自治体の都市が何故平仮名に?
近年地方都市に平仮名書きを採用する自治体が増えた。日本語は本来漢字自体が表意文字のため、平仮名になると意味不明になってしまう。この点を考えると、歴史的に由緒ある地方都市なら極めて残念な現象だと思う。
最初にその点を疑問に思ったのは、どうして埼玉県の県庁所在地「浦和市」は市名を変えて、そのうえ平仮名にまで変える必要があったのだろうかという疑問だった。それは都市同士の合併の話し合いに原因がある。埼玉県の県庁所在地は「浦和市」だった。それが2001年に近隣の大宮市、与野市と合併し、さいたま市となった。2005年には人形の街として知られる岩槻市も編入され、10行政区から成る人口130万人の大都市に変貌した。この合併の際、市の旧名を採用することが他の合併都市にとっては対等ではなく、第三者名として例え県名と同じでも平仮名にせざるを得なかったというのが実態のようである。
この都市同士の対等合併というのが、伝統ある都市名に拘ることからその抜け道として、平仮名に変更した。その一例として、最近母娘殺人事件などで注目された兵庫県「たつの市」の例がある。かつて漢字表現では「龍野市」と言われていたが、2007年3つの周辺町と合併して現在の平仮名書きの市となった。ただ、この平仮名によって旧龍野市のイメージが大分損なわれたように思っている。「龍野市」はかつて龍野城、武家屋敷があって江戸時代には城下町として栄え、播磨の小京都と言われたように今も情緒ある街の風情が残っている。三木露風の生まれ故郷で、童謡♪赤とんぼ♪の故郷としても知られているが、平仮名に変わって情緒あるイメージが消滅してしまったのは惜しいことである。地元の人々にとっては、合併の際の面子に拘ったがために、現実的に故郷の良さを失っていることをあまり気にしていないようで、少々残念な気がしている。
その個々の都市名変更の事情は別にして、これは「平成の大合併」による影響が大きい。政府主導により1999年から2010年にかけて、約3,200もの自治体が約1,700にまで約4割も減少した。現在平仮名やカタカナを含む市町村は、むつ市、いわき市、つくばみらい市、さいたま市、南アルプス市、など50以上も存在する。沖縄県コザ市のように、1974年に沖縄市に編入した逆の例もある。
総じて言えることは、古来の伝統や歴史的ないわれとは無関係に、利便性、馴染みやすさ、発音し易さ、などで割合安易に地名変更をやってしまうことではないかと思う。龍野城があった「龍野市」の市街に漂う城下町の雰囲気が、「たつの市」に変わったことによってイメージ的には何らの感傷も感じなくなったことが、少々気になる。名前が大事だと思うのは、個人の名前にしてもそうである。最近の赤ちゃんの命名を見ていると、その子の将来を考え成長を期待して名付けたと言う印象はあまりない。むしろその時の思い付きや、人気タレントの名を拝借したり、希少価値のあるような名前を軽い気持ちで安易に命名しているような気がする。最近の名前から、どっしりした重量感のようなものは感じなくなった。これもAI時代の影響によるものだろうか。
6951.2026年5月25日(月) 女性の進出と女性への評価
昨日は日曜日とあって、スポーツをはじめ各種のイベントが各地で催された。その中で取り上げられるべきニュース性の高いイベントがいくつもあったが、今朝の朝日には、珍しくも日本人女性として初めて国内外におけるそれぞれの活躍が、一面に取り上げられている。日本人女性の評価も徐々に向上しつつあるようだ。
海外では、カンヌ国際映画祭でフランス人女優と日仏合作映画「急に具合が悪くなる」で主役を共演した日本人女優の岡本多緒さんが、フランス在住のために国内ではそれほど知られていないが、そのフランス人女優とともに主演女優賞に選ばれたことである。男子俳優としては過去に2つの前例があるが、日本人女優が主演女優賞受賞者に選出されたのは、これまでの79回の開催でまったく例がなかった。映画は最近ほとんど観なくなったが、この映画は濱口竜介監督が日本語とフランス語を交互に交えた対話劇のようで、かなりレベルの高そうな映画であり、気軽に鑑賞できるような作品ではないようだ。私自身偶には映画も鑑賞しないと段々映画が分かり難くなるかも知れない。
もうひとつは国内のニュースとして女性が取り上げられたのは、昨日東京競馬場で行われた中央競馬3歳牝馬クラシックレースの第87回オークスで、日本人女性騎手として、今村聖奈騎手が初めてG1レースに優勝したことである。G1 レースとは、皐月賞、日本ダービー、菊花賞、桜花賞、そしてこのオークスの5つをいうようだ。これまで伝統ある5大クラシックレースに女性騎手が騎乗することもなかったようだ。競馬には全くド素人で、競馬なんてやったこともないし、賭博行為だと考えているので、ろくなものではないと普段からまったく関心を持っていなかった。しかし、私の無関心は別にして男の世界へ少しずつではあるが、女性が進出し、広い分野で活躍できる機会が増えてきたということは珍しいことであり、貴重なことだと思う。これも高市首相が女性として初めて総理大臣に就任した雰囲気と流れによるものであろうか。
終戦の年に国民学校(現小学校)へ入学した時、小学校でさえ上級学年は男女がクラス分けされていた。男子が1組、女子は2組、残りは男女とも3組にクラス分けされるというのが定番だった。我々1年生は、3組とも男女共学だったが、転校した5年生時には、男女別クラスとなった。
しかし、戦後教育のせいもあり時代の経過とともに男女間の差別がなくなり、優れた女性については、当然のことであるが、高く評価されるようになった。個人的なことだが、特筆すべきことは、高校の同級生約400人の中で1人の女子同級生が、一昨年文化勲章を授賞された。女生徒は僅か27名しかいなかったが、その内の1人である。
今から63年前大学を卒業して社会人となったが、現場作業が厳しかった当時の鐡道会社に就職して1年半の間現場見習いで駅業務を経験したが、当時の現場は1日置きに夜間勤務だった。当然女性駅員はいなかった。女性社員は、全員高卒で本社の男性社員のお手伝いということで厳しさはなかったにせよ、厚遇されることはなかった。それが今では学卒女性が役員にまでなっているとは、我々には想像もできないことである。でも、それは当然の成り行きであり、遅れていた鉄道会社ですら、今では女性も男性同様の待遇を受け、取り扱われているということでもある。
時代が経過するにつれ、「女性としては~」とか、「女性初」といったような表現は少なくなり、男女によって差別するようなことも次第になくなっていくことだろう。日本にもトランプ大統領のような非民主主義的人物でも出現しない限り、順調に男女差のない平等な民主主義社会が育っていくことだろう。
6950.2026年5月24日(日) 終戦翌日(8月16日)の読売新聞社説
親しい元テレビ局政治部長から「『昭和100年』で考える~戦争・平和・憲法・メディア・日米中~」なる玉稿を送っていただいた。テレビ局を退任されてから現在「安保政策研究会理事」の肩書で、ジャーナリストとして活動されておられる。先日も著名な軍事アナリストとともに3人でランチをともにしていろいろ懇談したばかりである。他にもうひとつ玉稿を送ってもらった。それは戦前読売新聞論説委員だった父親が、終戦翌日の1945年8月16日に読売朝刊の社説に書いた、戦火に敗れ打ちひしがれている日本国民を元気づける「気力を新たにせよ!」との社説原稿である。
社説は「敗戦のショックで悲憤慷慨するあまり、軽挙な行動に走り勝ちであるが、大国民として矜持と節度を堅持すべきである。国民の信頼を勝ち得る政治のみが、これからの危局を克服できる。今日起ちあがり、国を救うべきものは国民であることを知らなければならぬ」と訴えておられる。「新生の途は何か。国民はこの現実に些かも絶望せず、自ら文明国民としての毅然たる態度をもち、気迫を新たにし、列国をして決してその虚に乗ぜしめぬよう堂々として一糸乱れぬ結束と整然たる秩序を保持する。しかも日本人固有の清明心をもち、自らの文化的建設能力に対する確信をもって、戦争による破壊の復興に向かって刻苦勉励することである」と励ましてもいる。
実は、テレビ局政治部長だった時に、世間を唸らせる事象に関わることになった。部長の取材がリクルート事件が政・官・財界を巻き込むリクルート事件へ発展したのである。当時あまりにもショッキングな事件だったが、社会民主連合の楢崎弥之助衆院議員が、リクルートコスモス社から勤続25年などの名目で現金を贈られ、それを敢然と蹴って現ナマを突き返した決定的なシーンをビデオ・カメラで隠し撮りした場面が、1988年9月5日の日本テレビの番組で放映されたのである。何あろう、この映像がリクルート事件の贈収賄工作を立証する決定的な証拠となり、特捜部の全容解明の大きなきっかけとなり、事件の本格的な摘発に繋がった。楢崎議員とともにその隠し撮り場面に関わったのが、当の政治部長だった。私もそのTV番組を録画し保管している。しかし、ものすごいことをやられたものだとビデオを観ながらその生々しさにつくづく思ったものである。
それにしてもこのように危険を冒しながら、政治家とメディアの責任者がよくぞ気持ちを通じさせて、悪を暴く現場を映像に納めたとは、正義感とその勇気のある行動に驚き感銘を受けたものである。
さて、今日は大相撲夏場所千秋楽である。大関霧島と小結若隆景との間で優勝決定戦が行われ、若隆景が制して25場所ぶり2度目の優勝に輝いた。今場所は休場力士が多く横綱は2人とも、大関も3人中2人が休場し、観客にとっては横綱の土俵入りが見られなかったことは残念だっただろう。来場所は怪我を治して今場所休場した力士も揃って出場し、土俵を一層盛り上げてもらいたいものである。