充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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6765.2025年11月20日(木) 少子高齢化、韓国で益々進む首都圏集中化
いま日本では少子高齢化により、人口減少が将来的に大きな社会問題に発展すると心配されている。その最大の原因は、出生率の減少により子どもの数が思うように増えない反面、社会福祉制度の充実などにより寿命が延びて高齢者が増えつつあるいびつな状況を示していることである。これは日本だけの問題ではなく、お隣の韓国などでは日本より進行が激しく、他にも東アジアの国々などにも似たような現象が起きていて、今では世界共通の課題となっている。
中でも下記にわが国以上に深刻なお隣韓国の特殊な現状を紹介したい。
①2025年→2070年の人口推計によると、1億2千万人から8千7百万人に減少する日本に対して、韓国では5千百万人から3千7百万人にまで減少する。
②2025年の首都圏人口集中度は、日本の30%に対して韓国は51%である。
③2025年→2070年の高齢化率推計は、日本29.3%⇒38.7%、韓国20.3%⇒47.5%である。
④2021年の66歳以上の貧困率は、日本20.0%に対して、韓国は39.3%である。
以上で推察できるように、韓国ではソウル首都圏への人口集中度が、欧米主要国や日本よりかなり高い。これは、特に若い世代が国内各都市から首都ソウルへ移動していることが大きく影響している。とりわけ40代以下の世代の首都圏居住率の高いのが特徴である。その最大の原因は、高校を終えると若者は挙ってソウル市内の有名大学を目指す。大学を終えると市内にある大企業へ就職する。これが韓国国内における典型的な「成功コース」であるとの価値観がある。このために韓国の若者は、受験勉強を始めるとゴールであるソウル市内にある有名大学、大企業への道を目指すことになる。そのため韓国では受験勉強が大分激しいと聞いている。さりとて日本人も高校時代から受験勉強をスタートして、東京都内の一流大学を目指し、都内の大企業への就職を望んだ経験があり、とやかく言えないが、それにしても韓国のケースはとても尋常ではない。しかし、心配なのは、受験勉強ができる環境下の恵まれた家庭の子女はともかくとして、家庭的に恵まれない子どもたちや、能力的に力が及ばない子どもらは、若いころから先の目標がなく、途中でぐれたり、間違った道へ足を踏み入れるのではないかと不安や心配がつきまとう。難しい問題だと思う。
「中庸の徳」という言葉がある。孔子やアリストテレスらに通じる思想で、物事の考え方や行動に置いて過剰でもなく、不足でもない調和の取れた状態をいう言葉である。気がかりなのは、それが教育の現場から忘れ去られ、韓国内の若者世代が同じように上級志向にのみ目が向いていることである。
この空気が韓国全土に定着して、今ではソウルに次ぐ第2の都市といわれる東南の貿易港である釜山にも若者が少なくなってきたことである。釜山市民は、「ソウルの方がいろんな分野で仕事が沢山あるのだから、大学進学や就職で若者がソウルに行ってしまうのは仕方がない」とあきらめの表情で語っていたという。釜山で暮らす高齢者は寂しく感じるだろうが、ソウルの高齢者とて周囲に若者ばかりではとても息苦しいのではないだろうか。
6764.2025年11月19日(水) 小学生のころの野球と鎌倉の想い出
こんな幼いころの些細な想い出が蘇ることがよくある。小学生のころは、学校から帰ると毎日のように幕張海岸の埋立地で野球をやっていた。小学校5年生だった76年前の今日、1949年11月19日に作家椎名誠氏の兄研二くんら幕張小学校のクラスメートと後楽園球場の外野席で巨人戦を観戦していた。試合も後半になったころ、場内アナウンスの声の後に、どっと拍手と歓声が上がった。その時東急フライヤーズの大下弘選手が、甲子園球場で行われた対太陽ロビンス戦で7打数7安打の前代未聞の大記録を達成したのである。子ども心にはまだその偉大さは分からず、ポカーンとしていたが、この大記録は未だに達成した選手が他にいないほど難しく貴重な記録なのである。
その時私が友人らと後楽園で観戦していたのは、巨人軍対中日ドラゴンズ戦だったが、応援の甲斐あって、巨人軍が川上、千葉、青田選手らの活躍と別所投手の好投により5-1で勝った。ファンだった巨人軍が勝ったことより、大下選手の記録の偉大さが分からないくせに、7打席7安打という大記録のことばかりが印象に残っている。かつて芦屋市内に住んでいたことがあったので、もしもその時芦屋市内に住んでいれば甲子園に観戦に行って、大下選手の大記録を目に焼き付けることが出来たかもしれないとあらぬ夢を見ていたこともある。
思い返せば、あの当時のことは意外にも断片的にかなり覚えている。その翌日、11月20日は鎌倉・江の島へ学年旅行だった。旅行前に担任の湯浅和先生が鎌倉の知識として、鎌倉幕府や、源頼朝の鎌倉幕府確立の功労者で、千葉県の礎を築いた千葉常胤について話をしてくれた。「幕張」の名も幕府から取ったと言われた。湯川秀樹博士が日本人として初めてノーベル物理学賞を授賞したのもこの年だった。翌年は朝鮮動乱などパッとしない年となった。今でも大下選手の大記録に続き、初めて大仏の中へ入った鎌倉旅行は忘れられない想い出である。
さて、昨晩6時前に九州大分市佐賀関の住宅地帯で火事が発生し、強風に煽られ火は燃え続けて今日12時現在すでに発生から18時間が経過したが、現場から白い煙が上がっている状態である。大火となり48,900㎡が消失し、住宅170棟以上が燃え、多くの住民が避難した。身元不明者が1名出て居るが、他には被害はないようである。大分県は陸上自衛隊に災害派遣を要請した。
佐賀関は、今ではあまり知る人もいないが、かつて日本鉱業佐賀関工場があり、そこには社会人野球の強豪チームがあった。かつては、夏になると都市対抗野球に夢中になっていて、全鐘紡の3連覇なぞは忘れられない。40年近く前にチームは解散してしまったが、それまでは都市対抗野球には毎年のように顔を出し、ベスト8に進出したこともあり、プロ野球選手も何人か輩出した。そんな過去における華やかな歴史を思うと、一野球ファンとしてはこの火災も他人事とは思えないように感慨深いものを感じる。
1976年山形県酒田市や、2016年新潟県糸魚川市の大火災はよく覚えているが、それと匹敵するような大火災である。まだ火災は完全に鎮火したわけではなく、これから火災の原因や、被災がどの程度だったのかが明かされることだろうが、今では地方都市として住宅が密集するような感じの地域であるだけに、これからの復興がまた大変なことだと思う。
6763.2025年11月18日(火) 気になる高市首相と自民党の軍国主義的言動
去る7日衆議院予算委員会で高市首相が、台湾有事に際して武力行使を伴う存立危機事態になり得ると発言したことに対して、中国政府は直ちに抗議し、発言の撤回を求めて激しく非難し日中両国が対立した不穏な状況に陥っている。中国は元々高市首相が軍国主義信奉者で、反中国的であると警戒していたところへ首相が中台問題に首を突っ込んでしまった。首相の言動には、元々うっかりすると触れてはならない、或いは触れない方が良いとされる領域へ、手を出しかねない予兆があった。今朝の朝日「天声人語」欄でも「要らぬことを言った」と批判している。しかし、この高市発言に対して中国の反発も聊か度を越している。日本は現在治安が不安定であるとか、中国人を対象に襲われる恐れがあるとか、およそ事実とはかけ離れた見当違いな情報により、日本へ渡航しようとする中国人に対して渡航自粛を促している。日本へ留学しようとする学生に延期を求めたり、インバウンド客の約3割を占める中国人観光客の抑制を図り、すでに日本入りの航空会社の運行を中止した。国際的な友好関係の礎は、そもそも人と人の交流によって育成されるものだが、それを根っこから摘み取ろうとしている中国政府の子どもじみた軽々しい行動には疑問を感じざるを得ない。
意外にもこの右翼志向の高市首相に国内では支持率が高く、朝日新聞の世論調査でも、支持率は69%という高い支持を得ている。その中で、日中両国の関係改善については、高市首相には僅かながらも「期待出来ない」44%が43%の「期待出来る」を上回っている。支持層の間でも日中関係だけは、期待出来ないという不安があるのだ。高市首相の言動が警戒されるのは右翼志向で、この先日本のリーダーとして外交、内政に充分な力を発揮出来るだろうかという懸念である。また、他の国との間でもトラブルを生まなければ良いと祈るような気持ちである。
最近この他にも自民党内に右翼的な芽が吹きだしつつある。16日付東京新聞「本音のコラム」欄に前川喜平・元文科省事務次官が次のようなことを書いている。自民・維新政権合意書に基づき、政府は自衛隊の階級を「国際標準化」して、「1佐」を「大佐」に、「1尉」を「大尉」に変更することなどを検討しているそうである。木原官房長官は「国際標準化」して自衛隊員に高い意識と誇りを持ってもらうと語ったが、すでに1佐も1尉も英語では[COLONEL]や、[CAPTAIN]のように国際標準化されている。むしろ国際標準化ではなく、「旧日本軍化」であり、漢字を理解する中国人には無用な脅威を与える旧日本軍人化は即刻中止すべきであると、至極妥当な考えを主張している。
それにしても高市首相の台湾有事に備えた余計な国会答弁には、大きな収入源だったインバウンド業を収縮させる可能性がある。首相には責任ある立場にいるだけに、もう少しあらゆる点を弁え、チェックしよくよく考えたうえで発言してもらいたいものである。
6762.2025年11月17日(月) 戦争の怖さを知らない国内外の政治家
今朝の朝日新聞一面に次のような記事が掲載された。国立社会保障・人口問題研究所(社人研)が公表した調査結果によると、戦争の死者の数はこれまで伝えられていた数字より遥かに多いという事実である。実際死者の数が約2倍にも増えたことに驚いた。
これまで国会答弁や、全国戦没者追悼大会で述べられていた「310万柱」という説得力があった戦没者数が、何と大幅に修正され、実は約626万人と推定されるということである。戦後のドサクサに紛れて戦没者数は、確実な数が分からなかった。政府が最初にこの310万人と言い始めたのは、1963年私が大学を終え社会人になった年であり、東京オリンピック開催の前年でもあった。以降今日までこの戦没者数が信じられてきた。その310万人の内訳は、軍人・軍属・準軍属が230万人、外地で亡くなった一般国民が30万人、国内で空襲などにより亡くなった一般邦人が50万人と言われてきた。
ところが、社人研の更なる調査によると実際に日中戦争と太平洋戦争で亡くなった日本人の総数は、韓国、台湾、樺太などにいて亡くなった人を加えると約626万人であることが分かった。これは日中戦争では国の死亡統計が存在しなかったからだと推定される。しかし、戦後80年を経て、今更戦没者が増えたとしても、遺族の行方も不明な点が多く、賠償はないにしても最早名誉とされる靖国神社などへの報告は為されないだろう。今後国会答弁や、全国戦没者追悼大会では626万人とはっきり言うのだろう。
戦時中旧日本領だった、台湾、韓国にも同じような悲劇があった。台湾人も日本人として軍事徴用され、戦地で戦い、多くの犠牲者が出た。その犠牲者の数は3万人と言われている。これらの点も政府としては軽々に扱うというわけには行かないだろう。
私も陸軍航空部隊の現地戦没者慰霊祭や、太平洋戦争遺骨収集団などの現地における慰霊際儀式など旧戦跡地で、事あるごとに尊い310万柱という言葉を何度となく聞かされてきた。それでもこれはこれとして、新たに判明した日中戦争と太平洋戦争の犠牲者に対する哀悼の気持ちは変わるものではない。しかし、626万人というこの数字があまりにも大きいので、ショックを受けている。
今一番気がかりなのは、日本人と言わず世界中の政治家らが、本当の戦争の怖さを知らない世代になり、戦死者が出る戦争を恐れていないことである。戦争は実戦経験、或いは臨場感で戦争を感じたということでもなければ、戦争の恐ろしさが実感としてピンとこないものだ。現在日中間でお互いの不信感から、両国間に緊張の度合いが高まり、険悪な気配が生まれつつある。もちろん立場によって感じ方はいろいろあるが、それでも、高市首相の台湾有事発言に、中国政府は台湾海峡に他国の軍隊が侵入するなら対抗手段を考えると態度を硬化させている。高市首相、習近平国家主席ともに戦後派で、本当に戦争の恐ろしさが分かっていないことは言える。まるでゲーム感覚である。あまりスッキリしないが、しばらくこの問題から目を離せない。
6761.2025年11月16日(日) 言葉の乱れはテレビから
最近若い人たちの会話でどうにも気になる言葉がある。テレビなどでこの言葉を話す若者とその相手の会話の中で、度々出て来る言葉である。もちろん改まった場などでは、この言葉が使用されることはまずない。政治討論などでもこのような安っぽい言葉が出て来ることはない。その言葉とは「滅茶苦茶」、「めちゃくちゃ」、「メチャクチャ」という言葉で、本来の意味とは逆の意味で日常的に喋っているのが気に障るのである。テレビではある程度模範的な言葉遣いが求められるものだが、この言葉の使用、乱用については、テレビ局でも出演者にあまり注意しないようだ。或いは、ディレクター自身が日ごろから「メチャクチャ」を常用しているせいだろうか。
本来「メチャクチャ」などは、「良い」、「楽しい」、「嬉しい」、「格好いい」などの反対語で、悪い意味、或いはマイナス・イメージで使われる言葉である。例えば、「部屋の中がメチャクチャだ」とか、「文章がメチャクチャだ」、「話をメチャクチャにぶち壊した」などのように使用される。それが昨今は「非常に」、「ものすごく」とか、「すごい」などを強調する意味で若者たちは「メチャクチャ忙しい」とか、「メチャクチャ恰好好い」、「メチャうまい」という案配で気軽に使っている。我々高齢者にはどうも違和感を覚える。
驚くのは、「メチャクチャ」の語源は、室町時代にまで遡ると言われている。元々は「道理にあわないこと」、「でたらめ」を意味する「滅茶」という言葉に、「苦茶」が組み合わさり、意味を強調したらしい。あくまでカジュアルな言葉であり、ビジネスや目上の人との会話では、避けるよう教えられている筈である。
それにしてもこのような言葉がどうして日常的に使われるようになったのだろうか。話した当人に間違ったとの意識がないまま一般的に話され流行したのは、マスコミがかなりその責任を負っていると思う。言葉を初めて覚える小学校などでは、間違った言葉や、使われていない言葉を使った場合は、先生が間違っていると注意し、使わないと思う。日常会話でこのような言葉を使い出したのは、中学生になってテレビを観るようになってからだと思う。テレビで日常的に話されれば、子どもたちはそれを悪い言葉だと知らずに無意識に受け入れ、当たり前のように話すことだろう。ここは、テレビ会社が明かに間違った話し言葉を使用したので、話した出演者に注意して2度と間違った言葉を使わないよう喚起を促すことが望ましいと思う。そうすれば、「メチャクチャ嬉しい」だの、「メチャ気に入った」などのような間違った言葉を使わないだろう。テレビ会社は、自社から発せられる言葉が、間違った言葉として使われていることに責任を持つべきであり、修正するよう常に心掛けることが言葉を乱さない基本である。
さて、昨日観戦することが出来なかったデフリンピックを観てみようと、ウォーキングがてら駒沢公園の室内体育館でバレーボールを、室内球技場でバンドボールを観戦した。バレーボールは、体育館内を2つに仕切って、男子アメリカ・フランス戦と女子ウクライナ・ブラジル戦をやっていたので、少し観戦した。試合前だったので、いずれも国歌吹奏があり、一度に同じ場所で4つの国歌を聴くことになった。やはり少し空席があり、ゆっくり座って観戦することが出来た。バレー、ハンドボール、いずれの球技も、観た感じでは代表チームとは変わらないが、やはり実力的にはレベルはやや落ちるのではないかと思った。明後日はスタートの合図に変わったところがあるようなので、陸上競技を観戦してみたいと思っている。