ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

ブログ一覧

6512.2025年3月12日(水) フィリピンで現・前大統領が対立

 随分昔の話になってしまったが、51年前の今日、フィリピンのルバング島から旧日本軍の小野田寛郎元少尉が多くの人が出迎える中を30年ぶりに羽田空港へ帰ってきた。偶々元第五飛行師団所属の軽爆撃機隊・第8飛行戦隊のビルマ慰霊団にお供して羽田を出発する時に小野田さんに遭遇し、「往く人還る人」との見出しで、小野田さんとともに第8飛行戦隊のことを翌日の新聞に紹介されたことがあった。

 当時旧厚生省の太平洋戦争戦没者遺骨収集事業の中部太平洋地区収集団に携わっていて、毎年2月の1か月間はサイパン島に滞在していた。1972年グアム島の岩窟内に潜んでいた元日本兵の横井庄一さんが発見された。当時の遺骨収集団長の厚生省課長は陸軍士官学校出身だったせいで、2人とよく話が合い裏話を混ぜていろいろ聞かせてもらったことがある。興味深かったのは横井さんが女性に強い関心があり、グアムの病院で治療中に看護師の手を握って離さず、異常な行為に早くお嫁さんを見つけてやって夫婦2人にした方が好いと言っていた。その一方で小野田さんは女性にまったく関心を示さなかったと伺った。2人は間もなく良い相手を見つけて幸せな結婚生活を送られた。とにかく今日3月12日と言えば、横井さんと小野田さん、性格の異なる2人の旧日本軍兵士のことが思い出される。

 さて、その小野田さんが戦後潜伏していたフィリピンで異常な事態が起きた。ドゥテルテ前大統領が逮捕されたのである。大統領就任以前のダバオ市長時代から麻薬撲滅に力を入れ、超法規的なやり方で6千人を超える死者を出したくらいで、その手法は荒っぽかった。充分な取り調べや裁判を経ずに多くの人が殺害され、無実の人もいたとみられていた。その荒々しい行為に対して国際刑事裁判所(ICC)は人道に悖るといて逮捕状を出した。フィリピンはICCの加盟国ではない。だが、マルコス大統領は逮捕に踏み切り、香港から帰国したドゥテルテ前大統領をマニラ空港で逮捕し、ICCの本部があるオランダへ向かわせた。

 不思議なのは、マルコス政権の副大統領が、ドゥテルテ前大統領の長女サラであることである。その経緯は、以前からマルコス家とドゥテルテ家の間で対立があり、2月には下院でサラ副大統領が大統領により弾劾訴追され、7月に罷免の可否を審理する弾劾裁判が開かれる。本来なら大統領に忠誠を誓うべき副大統領が、大統領から愛想を尽かされたような理解し難い対応をされている。他にも両家の対立には、原因があるようだが、国を代表する大統領と副大統領が家族も絡んで国際逮捕劇を演じるようでは、救いようがない。2人は同じ大統領府に留まっていないで、対立点があるなら国民にすべて曝け出し、公開の席で国民に説明し支持を問うべきではないか。いつまでもこのような了見の狭い争いをしているようでは、国内はもとより国際社会からも見放されてしまうだろう。

 他国のことであるが、大雑把に知っただけでも普通では考えられないようなトラブルであり、恥ずべき対立であると思う。

2025年3月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6511.2025年3月11日(火) 日本郵便の顧客無視の値上げと手抜き

 14年前の今日、あの東日本大震災に襲われた。今日の朝刊一面に政府広報として復興庁より、「東日本大震災で犠牲になられた方々への追悼をお願いします」と告知されたので、正に14:46に14年前と同じ机を前に起立して追悼した。関連死を合わせて死者は22,228人、今なお行方が知れない人が2,520人もいるという。この大震災は、津波による犠牲者が多いこともさることながら、世界に衝撃を与えたのは福島原発の放射能漏れである。原発の管理体制が以前にも増して厳しくなるのは致し方あるまい。東電は政府の管理下に置かれ、手を抜く暇もない。それでも時間が経過するにつれ、厳しい管理体制が少しずつ緩んでくるのは、仕方のないことなのだろうか。原発が設置された地元でも、原発の危険は承知し恐れながらも濡れ手に泡の補助金をもらうために表面上は、原発設置にオーケーサインを出す。その悩みが理解出来ない都会にいる政治家は、積極的に原発にゴーサインを出す。いずれ、原発を廃止するか、継続するのか、決めなければならない時が来る。

 さて、日本郵便に順法精神が欠けていることが問題になっている。日本郵便は一応民間企業ということになっているが、以前は郵政省の管轄下にあった公益事業だった。それが、2005年小泉内閣の下で郵政民営化に舵を切り、官営から民営になった。事業は競争に晒されサービスも良くなると期待された。こうなると当然顧客へのサービスが向上し、事業も競争に晒され値も安く提供されると誰しも思ったものである。しかし、蓋を開けてみればそうは問屋が卸さなかった。

 あれから20年が経った現在、当の郵政事業はどうなっただろうか。新聞に叩かれているように郵便物などの配送車の運転手に対する法廷の点呼が適切に行われていなかったことが分かった。しかも郵政事業本体のサービスが必ずしも顧客の期待に応えるものではない。最近の郵便物の価格の値上げはすさまじいばかりである。昨年10月から郵便物の値段が一斉に値上げされた。ハガキ代が1枚63円だったものが、85円に値上げされ、定形郵便物が1通84円から110円に値上げされた。ざっと3割方の値上げである。郵便物は日本郵政以外では取り扱っておらず、値上げに反対でも他の手段を使うわけにはいかない。

 そして最近気が付いたことであるが、郵便局の営業時間中に1時間の昼休み時間を導入したことである。日本郵政も堂々とPRするのが、憚られたのか、この休憩時間の導入を全国的にPRすることをしなかった。全国の各郵便局が独自に決めた時間帯を導入したためにこんな不便な事態を起こしている。同じ東京都目黒区内の郵便局でも11:30~12:30と、13:00~14:00に営業を停止しているのが実態である。他の時間帯に休んでいる局もあるかも知れない。顧客は戸惑うばかりである。とにかく入口が閉ざされ、顧客は1時間もの間どうやって過ごすのか。これが日本郵政の仕事場なのである。郵政民営化によりサービスは向上し、競争原理の導入により値上げも簡単にはしないと公言していたが、今になって真っ赤なウソだったことが分かった。銀行のように職員の交代制で昼休みをやりくり出来ないのか。これが世間知らずの政治家の考えたことであり、やることである。

2025年3月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6510.2025年3月10日(月) 大船渡市の山火事鎮火とカナダ首相交代

 岩手県大船渡市で燃焼し続けていた山火事が13日目にして漸く鎮火を宣言され、避難していた人々は自宅へ帰れるようになった。これまで避難指示は広範囲に亘り、約2千世帯、4千6百人に出ていた。避難した人の間では、自宅を全焼した人と焼失を免れた人たちがいて、お互いに気を遣い一諸にいるのが辛かったようだ。

 そして明日は東日本大震災から14年目となる。運が悪いと言ってはそれまでだが、大船渡市民にとっては14年前に引き続いて自然災害に遭遇し、そのショックはとりわけ大きかったと思う。しかし、今回は偶々大船渡市が山火事に襲われたわけであるが、日本はいつ、どこでも自然災害に襲われる可能性があり、常に災害に備えていなければならない。岩手県が東京から遠隔の地にあるので、感覚的に災害の危険性に触れることはないが、東京都内が自然災害に襲われたら大船渡市のような死者1名なんてことはとても考えられない。我が家でも人災に配慮してセキュリティ会社と契約を結び、対ドロボー対策は一応出来る範囲で手を打った。だが、自然災害には、いざとなったら自宅から離れるぐらいしか知識がなく、これからは年齢も重ねることも考え合わせて、しっかり対策を立てないといけないとは思っている。

 さて、アメリカではあまり好い意味ではないが、トランプ大統領の存在感が抜きん出ている。その一方でヨーロッパの首脳などの存在感はやや影が薄い。その中でカナダの首相が昨日交代した。これまで9年間に亘って首相を務めたトルドー氏に代わって、カーニー元カナダ中央銀行総裁がトルドー首相の後任に就いた。トランプ大統領から散々カナダはアメリカの51番目の州で、トルドー氏はカナダ州知事だと皮肉たっぷりの嫌みを言われていたが、どうもそれがトランプ大統領のお別れの挨拶のようになってしまった。トランプ氏がカナダに対して輸入品に関税を課すと公言し、カナダのアメリカに対する反発・反感は激しいものがあり、カナダも対米報復関税を課すと述べている。トルドー氏としては、あまり後味の良くない首相交代劇だったのではないだろうか。

 あまりにも傲慢で他へ個人的な我が儘を押し付けるトランプ大統領には、世界中で迷惑を被り、好い加減にして欲しいと思っている多くの首脳がいると思う。

 大統領就任1か月余でこれほど存在感を強めた大統領は、ほとんどいないのではないだろうか。1か月の間に自分の想いのままに発令した大統領令は70回である。危険なのは、司法軽視で民主主義の根幹でもある三権分立を司法軽視で冒し、行政が司法を押さえつけることである。例えば、大統領の政策の一部については、裁判所が一時差し止めを命じている。憲法が認めているアメリカ生まれの子どもにアメリカ国籍を与える出生地主義の見直しなどに対して裁判所が待ったをかけた。ところが、大統領の意を受けたバンス副大統領が、X上で裁判官が行政の正当な権力を制御するのは許されないと見当違いの非難をしている。

 国際的にも問題を引き起こしている。メキシコ湾という名を、一方的にアメリカ湾と変更したり、グリーンランドを購入すると言ったり、パナマ運河の管理権をパナマ政府から奪還するとか、ガザ地区の住民を他国へ疎開させ、ガザをアメリカが所有する、アラスカ州の先住民族の名前を冠したデナリ山から以前の名マッキンリー山に戻す、紙製ストローをプラスチック製ストローに戻す、とか数々あるが、あまり合理的でなく、自分の好みだけを主張している。第1次政権時代には、議会内の共和党内でもかなり反トランプ派が多くいたが、今ではかなり減り、トランプ氏に歯止めをかける議員がほとんど見当たらなくなったことが、トランプ氏を益々我が儘にし増長させている。

 普通ならこれほど反社会的な政策や、行動をすれば一般人が反対するものだが、今のアメリカ社会にはそういう良識的な反トランプ・アクションは見られない。この辺りがアメリカの限界を示しているのではないだろうか。

2025年3月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6509.2025年3月9日(日) 東京大空襲記念日を前に米軍機襲来を想う。

 米軍機による東京大空襲から明日で80年になる。80年も経過すると最早体験者を除いては、臨場感としてその恐怖を肌に感じている人は大分少ないと思う。長引いた戦争にアメリカ軍も、早くケリをつけたいとおもったのであろう無差別攻撃を行うようになった。視界の良い昼間に軍事基地や軍需工場などを狙う爆撃から一歩進め、夜間にも民間人が住む市街地を無差別に標的とするようになった。人口密集の木造住宅地域の下町へアメリカ軍は1,700㌧の焼夷弾を投下した。被災者は100万人、焼失家屋は約27万戸、死者は約10万人と推定されている。

 今日の朝日朝刊「天声人語」記者当時の情景を想像しつついくつかの実話を取り上げている。「今でも覚えているのは『逃げている時に機上の米兵と目が合った』という話だ。~浅草の男性は東京大空襲の日、屋根すれすれに跳ぶB29の『アメリカ兵の顔見えた』という。『現代民話考 銃後』には、似たような体験が記録されているという。『焼夷弾で全身に大やけどを負い、家族7人を失った』、また機銃掃射から必死に逃げ回ったという女性が見た光景も記されている。電柱の陰で足を止めた時、低空飛行する戦闘機に『若い米兵の笑い顔と投げキッスが見えました』」そうである。

 実は、同じように戦闘機編隊に狙われたような体験は終戦直前に私にもあった。東京大空襲の後に、房州の勝山町(現鋸南町)に引っ越して翌4月に勝山国民学校初等科1年生として通学したが、入学早々にお母さん先生に連れられて同級生たちと校外を散歩していた時、突然米空軍戦闘機編隊が低空飛行しながら我々の方へ向かって接近してきた。先生は大きな声で「皆さん!伏せなさい!」と、興奮しながら大きなジェスチャーで両手を上下に振って、地面に伏せるように叫んだ。生徒たちはそのまま腹ばいになって戦闘機編隊の通過をやり過ごした。その時、先頭機の隊長の横顔が見えたような気がした。突然隊長機が機首をもたげて上空へ向け角度を上げ、他の戦闘機もそれに続いて高く遠くへ飛び去って行った。恐らく隊長にも子どもがいて、我々の逃げ惑う姿を見て自分の子どもを想い出したに違いない。幸い我々は銃撃されることはなかった。生徒たちは皆怖いと思ったに違いないが、それ以上に引率していた先生は、それこそ腰を抜かさんばかりに驚き、そしてホッとしたことだろう。

 あの戦争中は、薄気味悪い思い出が他にもある。勝山町の自宅の2階窓から東京方面や鋸山方面を眺めていると、夜空が真っ赤に染まったり、鋸山の探照灯が米軍機を探してぐるぐる回っているのが毎夜見られ、時折その後に警戒警報のサイレンが鳴るということがよくあった。

 後年になって戦前派私は、厚生省主管の太平洋戦争戦没者遺骨収集事業に関わるようになった。また、航空隊の戦友会慰霊団に度々お共するようになってから、戦後の戦争の地へ飛び込んでご遺族や戦友の方々から話を聞いて、怖い体験をした自分自身の生々しい記憶としてあの恐ろしかった臨場感を想い出すことがしばしばある。本当に戦争の現場は恐ろしいものだ。戦後派ばかりの国会議員たちには、戦争の怖さは分からないだろう。

2025年3月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6508.2025年3月8日(土) 雨模様の中を久し振りのお墓参り

 しばらくお墓参りをしていなかったが、今日長男と次男家族とともに我が近藤家の中野の宝仙寺と、妻の実家のお墓がある多摩墓地で予定通りご先祖へのお参りを済ませた。長男が今月いっぱいでまた大阪勤務になるということなので、2人の息子に揃ってお墓参りが出来る機会はあまりないと思い、今日都合がつくならお墓参りをしようと誘って揃って出かけたものである。コロナ渦のせいで、コロナが終わった直後にお参りして以来である。いつも2つの墓地を要領よく訪れることが出来るのは、2つの墓地がそれほど離れておらず、車だとそれほど無駄がないせいである。今日は雨が降るとの天気予報だったので、気がかりではあったが、多摩墓地を訪れ、その後宝仙寺を訪れたころに雪交じりの雨が降って来た。早々に引き上げ4時過ぎには帰宅することが出来た。夕方から雪が降るとの予報があったが、8時過ぎには雪が降って来た。明日は晴れて暖かくなるようだ。

 さて、1月末にフジテレビで起きた1タレントによる破廉恥な女性スキャンダルが、大々的に各メディアで取り上げられ、フジTVは多くの記者を前に共同記者会見を行った。責任を取った同社は、会長、社長らが辞任し交代することになった。スポンサーの番組提供により収入を得ているテレビ会社としては、非常に厳しいところだったが、実際にスポンサーがフジの番組を辞退するようになり、経営者が公表したところでは、予定していた収入の9割方を失ったという。同社は本業以外にも不動産業でも利益を上げているが、このままの状態が続けばいずれ経営は厳しくなり、会社の存亡が問われることになるだろう。

 毎週新聞のテレビ欄に前週の好視聴率を得た番組ベスト20が紹介されているが、偶にフジの番組が20位に顔を出す程度で、このところほとんど視聴率は他局に奪われている有様である。このままの状態が続けば、フジTVはスポンサー離れとともに、番組の視聴率も低下して会社は瀬戸際に追い込まれる。

 会社のトップは交代したが、影の経営者と言われている日枝久フジ・サンケイ・グループ・リーダーが、取締役相談役へ退いたとは言え、依然として要職に居座り、社内に隠然たる力を誇示している。今朝の朝日新聞に女性記者が、この件についてフジの現状とその原因を分析している。最たる要因は、テレビ業界で年間視聴率3冠を獲得してからおかしくなったようである。社内に物言う社員は切られ、辞めて行き社内に物言わぬムードが蔓延り、上司の顔色を窺いながら忖度が普通となったようである。入社は政治家からの紹介をはじめ、新入社員も多い時は、政財官界などの縁故紹介が半数を占めるという。こういう社内に実力主義、前向き、積極性などが影を潜め、社内の空気も沈滞していたという。

 残念ながら恐らくフジの今季の決算は赤字であろう。それがいつまで続くのか。そして日枝氏がいつまで経営者として要職に居座っているのか。日枝氏がフジを去らないうちは、フジの社内に活気が戻らず、社業の回復は難しいのではないだろうか。

2025年3月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com