道なお半ばで少々大袈裟かも知れないが、何とかやり遂げたと言えるのではないかと自画自賛している。別段大騒ぎすることでもないが、それでもこのブログ「ご意見番の意見」を3千回も、よくぞ懲りもせず毎日書き続けて来られたものだと思っている。
2007年5月15日にホームページを立ち上げて、その行きがかり上ブログというものを深く考えることもなく書き始めた。爾来8年2カ月の間にいつの間にか積み重なって3千回という節目の回数を数えるに至った。元々文章を書くことには興味があって、書く機会があれば下手は下手なりにまめに書いてきた。
このブログを書く下地となったのは、中学3年生の時から2年間の浪人時代を含めて大学1学年時まで毎日欠かさず日記をつけていたことだと思う。大学で山岳クラブに入り、最初の夏休みに1週間ばかり北アルプス山中に籠ったので日記なんて書けるわけがなく、そのまま放り出して習慣的に書き続けることはギブアップしてしまった。だが、その当時も地道なことを続けることにあまり抵抗がなかった。それが、このブログにも生きたのではないかと考えている。幸せなことに拙いブログを几帳面に読んでくれ、時折アドバイスをくれる友人たちからも、時折書いた主旨や考えについて尋ねられることがあるが、皆好意的に理解してくれるので、大きな励みにもなっている。
今ちょっぴり悩んでいるのは、これを今後いつまでも書き続けて、その時まで書きためた拙稿をどう処理すべきかということである。プライベートにして気ままな言いたい放題では、自我が強過ぎて一冊の書として世に出すというわけにもいかない。それに8年余りに亘る言いたい放題の雑文では、字数も多くまとめようがない。精々ひとつの可能性としては、自分で良く書けていると自ら認めるブログと、ドラマチックな時を過ごした1日のブログの何日分かをセレクトして私家版として印刷し、親戚や兄弟たち、友人らごく親しい人たちに読んでもらうことぐらいではないかと考えている。まだ、これもはっきりしない。
もうひとつは、あと何回書き続けることができるだろうかという自問自答である。区切りの良いところでは、500回ずつ回数を重ねて、次の大台は5千回だと考えているが、これには5年半近くかかる。その時私は82歳の超後期高齢者になっている。確実に体力と精神力は落ちている。認知症にも囚われているかも知れないので、文章も今より劣化しているに違いない。気持ちはいくら前向きであっても、それでもなお書き続ける意味ありや、なしやである。
これからのんびり考えてみたい。ともかくひとつの壁、連続3千回の記録を超えられてホッとするとともに、何かやり遂げたようなちっぽけな自信らしきものも湧いてきた。
さて、今日2022年冬季オリンピック・パラリンピック開催地が北京に決定した。カザフスタンのアルマトイと争っていたが、結局は運営能力と資金力に恵まれている北京が44-40の評決で勝ち、オリンピック史上初めて春、夏大会を開催することになった。ただ、前から気になっていたのは、果たして北京から遠く離れた張家口で開かれるスキー競技場に競技を行うに足る積雪があるのかという点である。中国オリンピック委員会は人工雪を集めて開催できるということだが、自然の中で行う屋外スポーツの意義が薄れるのではないかいう不安な気がしてならない。
このところ、2020年東京大会の主会場建設の見直しが発表されてから、オリンピックのマイナス・イメージが表面化している。その中でちょっと気になるのは、先日発表された東京五輪エンブレムが、ベルギーのリェージュ劇場のロゴに酷似しているとのアピールが、ロゴのデザイナーから出されたことである。IOCは取り合わないようだが、どうもイメージが良くない。今にして思うのは、日本で開催されるオリンピックなので、どうして一見して日本開催と分かる、富士山とか日本文化をイメージしたようなデザインを採用しなかったのだろうか。どうも割り切れない気持ちである。