3731.2017年7月31日(月) 近衛秀麿指揮オーケストラ鑑賞の想い出

 知り合いのひとりに幅広い趣味を持っておられる元エリート官僚がおられる。神宮球場で聞かれる東大の応援歌「闘魂は」の作詞もされた才人である。また、ある月刊誌には絵画が度々採用されている。受勲もされている。官庁退官後も社会的に広く活動され、私より1学年若いが、先輩のような人である。最近になってユーモアに溢れたユニークな川柳のような「『たのしみは~』で始まる独楽吟」を毎日10首ほどメールで送ってくれる。その数すでに2万5千首を超えたというからすごい。

 その知人が昨日送ってくれた「独楽吟」10首の中に、「たのしみは 友からメール 秀麿の 実演聴いたと 言ってくるとき」というのがあった。この中の「友」とは他ならぬ私自身のことである。

 昭和29年3月、京都市立中学卒業直前に学校から同期生みんなと、他校の卒業生と一緒に近衛秀麿が指揮した京都市交響楽団の演奏会を聴きに市内のホールへ行った時のことを伝えたことに応えて、早速採り上げて「たのしみ」としてくれたのである。

 野球に熱中したり、近くの松尾山中で野鳥を捕獲するのに夢中でイノシシに追い駆けられたように、野卑だった中学生にとって、立派なホールで格調高いオーケストラの演奏を聴くのは初めてだった。だが各楽器について分かり易く解説してくれたお陰で楽器の名や音色などをその時知ることが出来た。演奏してくれた曲目のうち「ペーターと狼」は、今以ってよく覚えている。

 ことの序にネットであの日演奏された京都市交響楽団について調べてみたところ、同楽団の創立は2年後の昭和31年4月とされていた。してみるとあの時演奏してくれた交響楽団はどこのオーケストラだったのだろうか。確かに京都市交響楽団と紹介されたように思う。或いは、正式発足前の京都市交響楽団だったのだろうか。余計なことを調べてちょっとがっかりもしている。

 その後私たち家族は父の転勤で直ぐに藤沢市へ引っ越し、市内の県立湘南高校へ入学したので、あのオーケストラ演奏は、京都時代の最後の思い出としていつまでも懐かしく思い出されてくる。

 それにしても同じように「高貴」高齢者の知人には、よくぞ後から後へと「独楽吟」が思い浮かんでくるものだと感心するばかりである。

2017年7月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com