3718.2017年7月18日(火) 日野原重明医師、105歳の大往生

 今日午後ほぼ都内全域に雷鳴とともに雹が降った。私も初めての日本ペンクラブ理事会に出席するため、地下鉄茅場町駅からペンの建物へ向かっていた時激しい雨に遭い、ほうほうの体で会場へ駆け込んだ。

 実質的には初めての理事会のため、期待感と若干の不安があった。会議の進め方として些か気になったのは、出席者が議論を戦わすのではなく、新会長吉岡忍氏と専務理事山田健太氏による議題の一方通行的な報告形式だった。もちろん質問は許されるが、決まったことに反論出来るような構図になっていない。そもそもすでに議題が決定していることが問題だと思う。何を議題とすべきかを各理事が事前に提出し、それを理事会で審議するのなら分かる。毎度このようなやり方だとするなら、理事会開催する意味はあまりないように思う。疑問に思ったのは、事務局が作成、或いは選んだ議題を常任理事の間で取捨選択して理事会の議案として上げているように感じた点である。

 先般会長名で中国の劉暁波氏を支援する声明文について、あまりにも我々が受け取ったメールに意見を述べる時間がなかったことと、声明文の中に書かれた「劉氏の親族は『日本には肝臓がん治療の非常にいい専門家がいる』として、日本を含む海外での治療を望んでいるという」文言は必要ないことを申し上げた。

 これから理事会出席の都度感じるであろう、普通の組織体の会議のやり方との相違に少しずつ慣れ、同時に言うべきことは言う必要があると考えている。

 それにしてもどうも違和感が拭えない。

 軽い憩室炎を患って現在食事療法を行っているので、折角誘われた夕食だが、失礼して直行帰宅した。

 さて、今朝聖路加病院名誉院長・日野原重明氏が105歳で亡くなられた。人間国宝的な存在の方である。100歳を超えてもなお現役医師として矍鑠として活躍され、日本中に元気を与えていた。その人生にはいくつかの分岐点があったようで、それが人生観に大きな力を与えたようだ。ひとつに戦争、もうひとつの転機は日航機「よど号」ハイジャック事件だったそうである。とかくへこみがちになる場面で、前向きに心の切り替えが出来たことがその後の人生を切り開いたと言っておられた。

 最近テレビでお姿を見かけなくなったと気になっていたが、きっと極楽浄土へ旅立たれたのではないだろうか。惜しい方が亡くなられた。心よりご冥福をお祈りしたいと思う。

2017年7月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com