13日に亡くなった中国の民主化運動の象徴的存在だった劉暁波氏の葬儀が昨日行われ、その後に火葬が行われ遺灰、遺骨が瀋陽の海にまかれた。かつてその瀋陽を訪れた時、生憎海を見ることはなかったが、大連からバスで向かい、清朝開祖のヌルハチを祀った東陵や、皇帝・皇后を祀った北陵、更に満州事変勃発の導火線となった瀋陽郊外の柳条溝を訪れたことがある。その後長春から哈爾浜へ列車で向かった。四半世紀以上も昔の話であるが、いくらでも懐かしい思い出が蘇ってくる。ノーベル平和賞受賞者の遺骨が、中国当局によってあの近くの海へまかれてしまったのだと思うと感慨深いものがある。あの当時中国東北地方はまだ経済的に立ち遅れた雰囲気で、中国の人々もまだ素朴な感じで、今のように権利意識や自己主張をむき出しにすることもなかったし、中国人の人権が抑圧されているイメージはほとんど感じなかった。
だが、経済発展とともに中国は大きく変わった。共産党政権の力を強めると同時に中国は、言論、報道の自由を抑圧する報道管制の厳しい非民主的な弾圧国家として、物言えぬ恐怖政治の国となった。
劉暁波氏の死に際しても、有無を言わさず遺族に圧力をかけてくる。流石にここまで中国当局の一方的な意向によって、ひとりの死に至るまでスケジュール管理されるのかと思うと空恐ろしい気持ちになる。でも、それが現代中国の実態なのである。中国ではNHKニュースで劉氏の死が報じられた途端画面が消されたほど当局は、情報管理に神経を尖らせ、当局の意に反して伝えられることを気にしている。
中国当局は劉氏の遺族が同席する葬儀の様子や海上散骨の写真を公表して、一連の儀式をすべて劉氏の遺族から了解を得たとアピールし、スムーズに葬儀の一連のスケジュールを終えたことを国民に伝えたつもりのようである。
だが、国際社会からの批判や、劉氏の支援者周囲からはこの散骨が遺族の了解を得たとは信じられないとの声が上がっている。実際散骨の場には、劉霞夫人の姿は見られなかった。劉暁波氏が身命を賭して取り組んで来た言論の自由は、現状中国ではまったく受け入れられず、共産党一党独裁政権下では国民はひたすら声を潜めていることを求められている。
共産主義革命を成し遂げ、その過程で6千万人とも、7千8百万人とも言われる大量虐殺を行ったと伝えられる毛沢東は、果たして現在の中国の政治体制をどう思っているだろうか。国民から民主主義、自由主義、言論の自由を奪い取った中国共産党独裁政権が、これからどういう道を目指し、あまつさえ中国をどこまで多くの国々から忌み嫌われる自己本位の国に変貌させようというのだろうか。