3705.2017年7月5日(水) プロレスラー力道山の波乱万丈なる生涯

 昨日から都内では雨が降ったり止んだりだったが、台風3号の影響を受けた地域ではかなり洪水や土砂災害の被害が出ているようだ。今朝は雨模様ではなくなったが、青空にどんよりとした雲が居座っている。台風は通り過ぎたようだが、島根県浜田市では過去最高の降水量だったそうだから、小さな河川は決壊している。

 夕方になって福岡県を中心に九州北部では隣の大分県ともども大雨特別警報が出された。

 そんなぱっとしない天気であるが、北関東地域ではダムの放水を制限するというからよく分からない。例年のダム貯水量の2/3しか貯水されていないそうだから、それもやむを得ないとは思うが、どうもピンと来ない。

 さて、駒澤大学公開講座で先週からの山田克・前共同通信東京支社長の講義が何とも珍しい話題である。戦後日本で良きにつけ悪しきにつけ、日本人の人気と関心を呼んだ人物・プロレスラー力道山を主人公にした「伝説たちの時代」を次回分と合せて3回シリーズで話される。ストーリーは、講師が折角書き上げていながら上梓されなかった作品である。

 力道山はプロレスラーとして成功しながら、事業家としても成功へ歩み出していた1963年ヤクザ同士のトラブルから凶器で刺されて殺害された。ちょうどその当時小田急玉川学園前駅で改札掛を務めていたが、「力道山が刺された!」と興奮して常連客が話してくれたのでその時のことはよく覚えている。

 力道山が複雑な生まれの下に不幸な前半生を送ったことは、噂では聞いていた。現在の北朝鮮で生まれ、そこにはすでに娘もいた。慕っていた兄が相撲を得意にしていたこともあり、日本へやって来て相撲部屋に入門する。折角関脇まで昇進しながら、自ら髷を切ってプロレス界を起ち上げる。1954年高校入学間もない頃シャープ兄弟と戦っていた様子を学校帰りに街頭テレビで興奮しながら観戦したものだ。

 興行界はヤクザとの縁が深く、力道山もヤクザ衆との付き合いから最終的に生命を落とすことになった。だが、政界や裏社会にも入り込み、政治家では大野伴睦、河野一郎、ヤクザの世界では町井久之、田岡一雄、田中清玄、児玉誉士夫らいずれも大物と言われた人物と交流を深めて付き合った。その辺りに太っ腹な男の気概を感じる。まだ日本がヤクザや暴力団の取り締まりに甘かった時代である。

 更に驚くのは、まだ日韓条約が結ばれる前で、力道山は政治的にも韓国側に利用され、2度に亘る国賓扱いの訪韓では、南北対立の朝鮮で双方の狭間で悩んでいたようだが、朴正熙大統領ら韓国の要人からも歓迎された。

 今では忘れ去られかけているが、戦後日本をある意味で代表する人物のひとりではないだろうか。来週も第3回目があるので、楽しみにしている。

2017年7月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com