3014.2015年8月14日(金) 心の通い合いと南方戦線の悲話、終戦70年首相談話発表

 明日の終戦記念日を控えて、メディアでも終戦特集番組を放映しているが、昨夕のNHK番組の中でしみじみ感じ入った番組と、戦争スペシャルの従軍看護婦をターゲットにした番組に心を打たれた。

 前者「にっぽん紀行」では、東日本大震災に大きな被害を蒙った岩手県野田村で、茅葺の民家で小規模ながら手作りの旅館業を営んでいる中年夫婦と宿泊客のほのぼのとした心の交流を描きだしていた。1晩に3組しか宿泊できないが、夫婦は宿泊客の気持ちを斟酌して自家栽培の野菜料理でもてなしつつ、お客と一緒に食事をしながらテレビもない中で語り合い心を繋ぎとめて満ち足りた毎日を送っている。特に心を惹かれたのは、電話もパソコンも使用せず、お客からの予約申し込みはすべて手紙、ハガキにより行われることである。普通伝えられないことも文章にして伝える。それは、帰ってからも手紙の交換となり、いつのまにかお客がリピーターとなり、旅館にチェックインする時「ただいま」と言ったり、自宅へ帰る時に「行って参ります」と言ったり、お互いに家族のような関係にまで発展する。奥さんが手紙を書いているが、手紙を書くことがいろいろなことを想像させてくれると言っていた。すべてがうまく行っているわけではないと思うが、実に羨ましいような経営者の思いやりとおもてなしだった。

 先日サンフランシスコへ一緒に行った孫には、手紙を書くことのメリットを大分話して、自分から思っていることを相手に伝えるためには、手紙で発信することが効果的だと話し何とか2通ばかり絵ハガキを書かせたところだ。

 後者の従軍看護婦の「女たちの太平洋戦争」については、日本赤十字病院からビルマ、フィリピンなどの兵站病院へ派遣された看護婦からひとりひとり話を伺うというスタイルで、80~90歳代の看護婦さん自身が涙ながらに悲惨な戦争体験を語っておられた。在職中慰霊団で各地へ巡拝したが、特にビルマでは従軍看護婦さんが参加され、実際に自分たちが働いていたモールメン兵站病院を訪れた時の茫然自失した姿を思い出し、看護婦さんたちの姿がテレビと重なって来る。本当に辛かったであろう体験談を何度も伺ったが、どうしてもその中心的な存在だった小倉の折田夫実子さんの姿が思い出されてならない。

 明日の70回目の終戦記念日を前に、今夕6時日本政府として安倍首相が総理大臣談話を発表した。先の戦争でアジアへ侵略し、多大な犠牲を強いたアジアの国々へ安倍首相は謙虚にお詫びと反省の言葉を率直に述べる必要がある。これには賛否両論があるが、多くの犠牲と被害を与えたのは戦前のわが国軍国主義であり、素直に謝罪すべきは謝罪しなければ、お互いの頑なな気持ちが融解して、次のステップへ進むことは難しいからである。

 首相談話には使用されるかどうか懸念されていた、キーワード「植民地支配」「侵略」「反省」「おわび」が間接的な表現ではあったが盛られていた。9時半現在、まだ、オーストラリア、インドネシア首脳の評価するとのコメント以外はない。いずれ明日になれば、最も手厳しいと予想される中国と韓国、そしてアメリカの正式声明が発表されるだろう。

 さて、一方で終戦直前になって日ソ不可侵条約を一方的に破り、わが国へ侵略して日本人に危害を加え、残虐行為を行った旧ソ連政府(現ロシア政府)に対しても言うべきことはきちんと主張すべきである。場合によってはその極悪非道な行為に対して謝罪や賠償を請求すべきだと考える。

 終戦前日の昭和20年の今日、満州でソ連軍が千人以上の日本人を虐殺した葛根廟事件と言われる隠れた残虐事件があった。その悪行についてロシアは知らんぷりを装っているだが、肝心の日本人がほとんどその実態を知らない。こと戦争については、特に賠償については、戦勝国の論理で語られ勝ちだが、敗戦国の悲劇も多数あり、仮に事実が分かるなら、それは闇に葬らずきちんと清算すべきではないだろうか。

 首相談話が片付いたら、日本人としてじっくり考えてみるべき問題ではないだろうか。

2015年8月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com