3666.2017年5月27日(土) 心に染み透る尺八の音色

 毎年今ごろになると尺八の都山流師匠の鯉江丈山さんから、主宰する尺八丈清会の定期演奏会ご案内をいただく。今年もご案内頂いたので、今日午後鯉江さんが主役として吹奏する時間に合わせて会場の「なかのZERO小ホール」へ出かけた。観客席は比較的空いているが、皆熱心に耳を傾けている。いつも鯉江さんが独奏する「岩清水」を楽しみにしている。この曲名「岩清水」は、京都府下の石清水八幡宮(イワシミズハチマングウ)に因み「岩清水」ではなく、「石清水」が正しいのではないかと一度鯉江さんに尋ねたことがある。だが、これは石清水八幡宮に日ロ戦争戦勝祈願にお参りした中尾都山師が、岩から滴る清水が流れとなり川となって海に注ぐまでの情景を意識して作曲した曲であるので、「石清水」ではなく敢えて「岩清水」と音読みして名付けたということらしい。

 鯉江さんとは同じ会社の旅行部門でともに働いていたことがあり、添乗員として大阪万博や四国にも一緒に行ったことがある。最も印象深く思い出すのは、今から40年ほど前に、旧第5飛行師団ビルマ慰霊団を案内してビルマを訪れた時、現地の慰霊祭で鯉江さんに尺八を吹奏してもらった時の原風景である。戦時中旧日本陸軍の飛行場があった、だだっ広いビルマの草原で、鈴木崇司・元第5飛行師団参謀長の言葉に続き、元慰霊団参加者がお参りし、一同で般若心経を読経した後に鯉江さんの尺八の音色に参加者が涙を流していたことが、昨日のことのように思い出される。帰ってから多くの参加者の方々から、あの尺八の音色はしみじみとした気持ちにさせてくれて、戦時を思い亡き戦友を供養することが出来たような気がすると感謝の気持ちをいただいた。これも鯉江さんの尺八が奏でる音色が素晴らしかったからである。

 元会社のよく知る同僚が、退職後も人生から引退することなく、別の分野で自らの能力を生かして個性的に活動しているのは、嬉しいことであり、頼もしいことでもある。

 2009年に「停年オヤジの海外武者修行」出版記念会を開いた時には、鯉江さんに会場でその名曲「岩清水」を演奏していただいた。3年前の「南太平洋の剛腕投手」出版記念会では会場内で突然倒れられて少々心配した。大震災に遭った福島県相馬市出身の鯉江さんも現在80歳台の半ばであるが、これからも健康には充分留意され、いつまでも丈清会演奏会で楽しませて欲しいと願っている。

 さて、奈良県生駒市にいる長男の中三の孫娘が、このところハンドボールで活躍してジュニア・オリンピック候補選手に指名されたと聞いている。3月に富山県氷見市で行われた春の全国中学生ハンドボール大会に奈良県代表として出場し、残念ながら2回戦で敗れたが、その試合で孫娘が3得点した記録とともに、彼女の写真が月刊誌「HANDBALL」6月号に掲載されたと言って嫁から同雑誌を送ってきた。中一の妹の方が、活発でサッカーなどでも頑張っていたようだったが、割合大人しい上の娘がハンドボールで頑張るとは意外だったが、嬉しいことである。

 これから中々大変だとは思うが、このまま健康で学校生活を楽しんで素直に育って欲しいと思っている。

2017年5月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com