3022.2015年8月22日(土) 親に子への愛情と養育の責任感があるだろうか。

 大阪府寝屋川市内の中学1年生の男女の失踪が大きな話題を呼んでいる。そのきっかけとなったのが、13日に発見された女児の死体だった。その傷だらけの残虐な殺し方や、女児の不可解な行動などからメディアで注目され、ここ数日は犯人探しとともに、もう一人の男児の行方はどうなったかと関心を呼んでいた。

 そんな折昨晩になって、犯人のひとりが逮捕され、男児の死体が発見されたことにより一層注目されるようになった。

 幼い男女が携帯電話で意思表示をして、真夜中に外で彼らの行動が防犯カメラで撮影されているという破天荒な行動には呆気に取られる。昔ならごく普通の家庭の子女の行動としては信じ難い。携帯の通話記録によれば、真夜中にこれから京都へ行くと言ったり、もう寝屋川には戻らないと書き込んだり、唐突に友だちへ泊まらせて欲しいとお願いしたり、とても普通の中学1年生の言動とは思えない。昨晩テレビのコメンテーターが、これは警察をどうこう批判するという問題ではなく、彼らの両親のしつけとか、地域の人たちの行動が問われているとコメントしていた。実際その通りだと思う。

 僭越だが、昨今子どもを持つ親が、子どもをまともにしつけることができなくなった家庭が増えているのではないだろうか。地域社会におけるお付き合いや、交流、コミュニケーション、或いは地域が一体となって子どもを育てるという発想や常識が消えうせているのではないだろうか。ひと昔前なら深夜の丑三つ時に、幼い子どもが当てもなくぶらぶら歩き回っている姿に気づいたら、誰かが心配して帰宅させるとか、交番に相談するとか、親が心配しているから早く帰りなさいと言ってやるのが当たり前だったように思う。

 2人の学童の行動については、厳しい言い方になるが、それぞれの親の責任が大きかったと思う。こんな小さな子が夜になって目的も言わずに外出することを愛情のある親が黙って認めるだろうか。

 こんなことを考えていたら、最近義務教育の学校で提供される給食代を払わない保護者がいて、学校と教育委員会が対策に頭を痛めているというニュースを知った。

 寝屋川市のケースとは異なるが、次の例でも親の無責任と子どもへの愛情に疑問を感じる。

 埼玉県北本市では未納の生徒の給食費について、何度も督促したが親から支払ってもらえず、保護者に対して給食費3か月未納の子には給食を今後提供しないので、弁当を持参するよう通知することを決定したという。未払い者が増え、市にとっても費用の負担が過大となり、食材の仕入れに影響が出ているから止むを得ない措置と述べているが、実際担当部門では給食を提供されながら給食費を支払おうとしない保護者には随分頭を痛めているようだ。

 もうひとつ同じ埼玉県の例であるが、鶴ケ島市の教育委員会では、半年以上給食費未納の保護者に対して強制執行を行い、保護者の預金口座から給食費該当額と利息分を引き落としたという。こういう手荒なことをしないと物事が解決しなくなっているのは悲しいことであり、現代、否最近の子どもを持つ親の世代の、我儘で無責任な考え方の故だろうか。子どもへの愛情と周囲への配慮が劣化しつつあるのだ。何となく虚しくモラルの欠如を感じる。

2015年8月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com