親しかった元会社の同僚・隅野成一さんが亡くなって1年が経ったが、同じ同僚の八木卯さんと3人で定期的に会食を楽しんだことが無性に懐かしく思い出される。同じように気兼ねなく話し合える会話の場を持ちたくて、後輩の座間毅さんに隅野さんの身代わりになってもらい八木さんと3人で初めて昼食をともにした。いろいろ在職中の知っている話や知らない話が後から後から飛び出してあっという間に2時間余りが過ぎた。会社を辞めてから家に引っ込みがちの同僚たちもかなりいるようだが、外へ積極的に出た方がはるかに健康にも良いだろうし、趣味などに関わって建設的に生きがいを見出すことも必要ではないかと思う。その点では、座間さんもよく外へ出ているようで、鉄道優待パスを有効に使っていると得意顔だった。これからもしばしば会いましょうということで別れた。
さて、国内外に相も変わらず、理解し難い問題が頻発している。今日目についた最たるものは、国連本部で始まった核兵器を法的に禁止する「核兵器禁止条約」の交渉会議である。主旨に反対する米ロ英仏など核保有国や、その「核の傘」の下にいる韓国のような国が、条約に加盟することに反対している。一方中国やインドのような核保有国などは、条約に反対ではなく棄権している。それぞれ身勝手な論理に憑りつかれているのだ。こんな実効性のない条約では、交渉自体が難しいし、考えようによってはあまり意味がないと思う。核保有国とそのシンパの国が安全保障の在り方を疑問視して核を放棄しようとしないことに一番の問題がある。
日本はどうかと言えば、会議には出席したが、アメリカなどの核保有国の言い分を代弁して交渉に反対を表明した。世界で唯一の被爆国である日本が、条約に反対したことに日本に期待していたオーストリアやメキシコなどの条約賛成国はいたく失望している。日本原水爆被爆者団体協議会(日本被団協)事務局次長が被ばく体験を語り、「再び被爆者をつくるな」と核兵器廃絶を訴えるスピーチを行ったところで虚ろな感がある。日本政府の言い分は、核兵器禁止条約は反って国際社会を分断するとの立場から同条約への参加を見送るということである。岸田文雄外相は、同条約は核兵器保有国と非核兵器国の対立を深めると都合の好いこじつけでアメリカの肩を持った結論を弾き出した。この理屈を押し通すなら、核保有国が核を保有し続ける気持ちがある限り、永遠に核はなくならないということになる。
これでは、核兵器反対などの運動はまったく無意味、無駄ということになる。日本が世界で唯一の被爆国であることは周知の事実であり、日本の言動は強いアピールがあるが、それを核兵器開発反対への力にし得る体制が出来ていない。核禁止へ向けた今後の運動で日本はまったく頼りにされなくなる。政治家が「核」「被爆」を弄んでいるようでは、被爆者は永遠に救われないのではないだろうか。