文部科学省の学習指導要領で奇妙なことが検討されていた。これまでにも学校で学んだ歴史上の事件や言葉を広く周知させることなく訂正したり、削除することはあった。例えば、我々が散々習った江戸時代の身分制度を表す「士農工商」と言う言葉を、使用不可として今や学校では教えなくなった。武士はともかく、農工商の間には制度としての身分制が存在しなかったというのがその理由である。更に驚かされたのは、鎌倉幕府の開府はこれまで源頼朝が征夷大将軍に任ぜられた1192年とされていた。鎌倉幕府については、日本史の受験勉強で「イイクニ作ろう鎌倉幕府」と語呂合わせまでして暗記したものである。しかし、歴史的事実は好い国を作る前に武士はすでに実権を握っていて、実質的に鎌倉幕府が開かれたのは、源頼朝に対して朝廷より諸国への守護・地頭職の設置・任免を許可した文治の勅許が与えられた1185年が妥当だとして、開府の年号が改定されたことである。なぜこの期に及んでというのが率直な感想である。
鎌倉幕府のように具体的な改正理由があればまだ好いとしても、今回文科省内がざわついていたのは、すでに新しい用語が教科書に使われていたが、現場の教師の間で教えにくいとの苦言が相次いだからだそうである。他に驚いたのは、これまで考えてもみなかったような言葉の使い方がされていたことである。
例えば、つい最近まで教育現場では分かり難い教え方がされていた。聖徳太子を小学校教科書では「聖徳太子(厩戸王:うまやどのおう)」と言い、中学校では「厩戸王(聖徳太子)」と表記され、現場の教師から教えづらいとの声が次々と出たからである。文科省ではこれを小中とも「『聖徳太子』に戻し、中学の指導要領では古事記や日本書紀で『厩戸皇子』などと表記され、後に『聖徳太子』と称されるようになったことに触れる」と付け加えることにしたのである。その他にも「元寇」を「モンゴルの襲来」に、「鎖国」を「幕府の対外政策」に変更しようとの改定案があったが、これらは元に戻し従来通りとなったたようだ。どうして、日本人の頭の中に深くインプットされた史実を、特別に積極的な理由もなく代えようとするのか理解に苦しむ。
我々が学校を終えて長い時間が経過してから、一部の報道だけで史実を訂正させられ、旧世代となった我々がまったく蚊帳の外に置かれてその新史実を知らないということには強い抵抗がある。
歴史の事実を後世に正確に伝えるということについて事実と違うからと簡単に訂正するのではなく、確固たる信念で度重なる検討のうえ、これ以上正確な事実は今後表れないと確信してから是非を検討するようもっと慎重に取り扱ってもらわないと困る。ひとつの官庁の気まぐれな判断で史実を曲げかねないことは、慎んでもらいたい。その点で文科省はどう考えているのか。わが国の教育行政を取り扱っている文科省は、過去に大きな軌道修正を何度もやっている。些か軽薄だと考えざるを得ない。
最近でも教育史上に残る大きな制度改革を行った。それは詰め込み教育の反省から1980年に始まった「ゆとり教育」が、その後国際社会における日本人生徒の成績低下につながったとして、良かれと採り入れた「ゆとり教育」をイージーにも2010年頃に決別を告げたことである。教育の根幹を揺るがしかねない制度改革を文科省官僚はいとも容易くやってのけるのである。かつて高度成長期に思い上がった証券業界が、「銀行よ!さようなら、証券よ!こんにちは」とド派手なPRをして、世間から総スカンを食った。ことが教育問題であるだけにもう少し慎重に取り扱って欲しいものである。