古代マヤの予言「9月3日地球滅亡」の一夜が明けたが、私の周辺には何事も起こらず、いつも通り7時過ぎに爽やかな目覚めをした。マヤ暦はどうなっているのか。マヤ暦に逆らって地球は滅亡することもなく、いつもの通り自転している。結局のところマヤ暦の予言「地球滅亡の日」は、杞憂に終わった。マヤ文明研究者がマヤへの関心を惹くべく久しぶりに花火を打ち上げたのか、或いは単に人騒がせに終わっただけなのか。
気になるのは、マヤ暦の仮説を発表したマヤ文明関係者は、一部で不安に陥れたこの結末をどうつけるのだろうか。マヤ文明の信奉者だってこのまま世界中に不信感を与えたままでは不本意であろう。マヤ文明の研究者にとっても今後の研究に支障を来すようなことにならないだろうか。3年がかりで不安、疑心、宇宙観、マヤ暦、等々が錯綜する中で、天文学を熟知した古代マヤ民族が宇宙の神秘を解読していたことが感嘆とともに理解されるようになったこと以外には、それらが現代の実生活には何物ももたらさないことが分かっただけである。
さて、昨日軍事パレードが行われた北京では、当局からのお達しで工場が休業したお陰で雲一点もない秋晴れとなったが、今日は早くもいつも通り北京上空には排気ガスが復活し、PM2.5が充満して見通しが悪い。国家行事でもなければ、こんな環境下で北京市民は生活しなければならない。つい北京市民に同情したくもなる。
ところで今日悲惨な事件が報じられた。3歳のシリア人男児がトルコ海岸に溺死体となって打ち上げられ、それが欧米の新聞に報道されたことで大きな関心を呼んでいる。男児は難民家族の一員である。
この1、2年の間に中東、北アフリカからヨーロッパへの難民の数が膨れ上がり、ヨーロッパ各国もその対策に頭を痛めている。中でも圧倒的にシリアからの難民が多いルートではドイツを目指す人が24万人もおり、とてもドイツだけでは受け入れ対応することは難しい。ドイツ行きを目指す難民が途中のブダペスト駅で足止めを食い、同駅には大勢の難民が留まっている。
我々日本人は難民受け入れに消極的と言われ、ほとんど難民認定をしていない。そのため難民問題に関する理解が不十分で、仮に一度に難民が押し寄せてきたらどう対応して良いか戸惑うのではないだろうか。遠い国の話と高を括っていると、案外近くの国からどっと押し寄せてくることは皆無とは言えないと思う。難しい世の中になったものである。