日本人はいつからルールを守らない国民になってしまったのだろうか。それもわが国最高レベルの特別法、日本国憲法を遵守しようとの声が軽視されつつあるのである。非常に危険な状態であると言わざるを得ない。今国会で議論されている安全保障関連法案については、歴代の内閣法制局長官、多くの法学者や憲法学者が揃って違憲であると指摘しているにも拘わらず、安倍政権は姑息にも従来の憲法解釈を変えることまでして安保関連法案を力づくで成立させようとしている。
これについて昨日の朝日新聞朝刊に山口繁元最高裁長官へのインタビュー記事が大きく掲載されていた。憲法の番人とされる最高裁長官だった山口繁氏は、集団的自衛権の行使を認める立法は違憲だとはっきり断定している。わが国は集団的自衛権を有しているが、行使はせず、専守防衛に徹することこそが憲法9条の解釈としている。そのうえで、集団的自衛権を行使したいのであれば、まず憲法改正、とりわけ9条を改正するのが筋であるとも言っている。安倍内閣は最高裁が下した砂川判決を都合良く解釈して安保関連法案は合憲であると言い張っているが、旧安保条約では日本は固有の自衛権を行使する手段を持っていなかったため、米軍の駐留を希望するという屈辱的な内容になっている。日本には自衛権を行使する手段がないので、集団的自衛権の行使は考えられない。従って政府が砂川事件の判決に集団的自衛権の行使は適っており合憲であると理解すること自体無理であり理不尽である。それを政府は、最高裁は砂川判決では集団的自衛権行使を容認したと誤解して、さも当たり前のような顔をしている。
国民や多くの憲法学者が反対を唱える中でもアメリカ政府に約束してしまった以上、政府はひたすら法案成立へ向けて突き進んでいる。日本国民よりアメリカ優先なのである。結局最高の法律であろうと一旦決めたからには法律破りだろうが何でもやってのけようとの無茶な意思を抱いて前進しようとしている。法律を守らなかったら秩序は維持されなくなるということは、国家、国民にとっては大問題であるが、実は政府自民党にとってはどうでも好いことなのである。一度国の最高法規、憲法という堤防が決壊したら、後はどうなろうとルールはどうでも好いというのが、自民党の考える無秩序、無責任の最たるものである。
これから困るのは、憲法が守られなかった以上他の法律が破られてもあまり深刻に考えられなくなることである。安保関連法案のような無秩序で、国民の意思を蔑ろにするやり方が再び現われることは明らかである。法律がなくて民主社会が生き残れるのか、また国民は今後真っ当に生きていくために、何を拠り所にすれば良いのだろうか。