今朝の日経紙「春秋」欄に「新政府の役人などまっぴらごめんだ。世界の海援隊でもやるかな」と幕末の志士・坂本龍馬が西郷隆盛に言い放ち、西郷は二の句がつげられなかったというエピソードが紹介されている。龍馬には、キューバ革命の志士・チェ・ゲバラと似たような共通認識があったことに、さもありなむと感じた。キューバの志士・ゲバラにも地位や名誉に拘る気持ちはまったくなく、アメリカに押さえつけられていたラテン・アメリカ諸国をアメリカの支配下から開放し、国境線のないラテン・アメリカというひとつの国を造り上げるために役立ちたいとの気持ちが強かった。革命後キューバ国立銀行総裁や工業大臣などの要職を何の未練もなく投げ捨て、新たな革命を起こすためにひとりでラテン・アメリカで経済的に最も立ち遅れていたボリビアへ向かった。不幸にしてボリビア山中で政府軍に捕えられ、龍馬と同じ運命を辿り形になり非業の死を遂げた。
いまゲバラの関連書を買い込み読んでいるが、ゲバラの信念、創造性、計画性、行動力、人格に尊敬の念が益々強くなる。私利私欲に駆られて自らの存在感をアピールすることだけに拘るリーダーが多い時代に、人間としてこのように理想的な人物が、我々の時代に現実にいたことが信じられないくらいである。
キューバについては、拙稿「いまキューバが熱い」を季刊誌「知研フォーラム」に寄稿し何人かの友人に送ったところ、キューバ革命や、カストロ、ゲバラの名前については知ってはいたが、拙稿を読むまでは詳しいこと、特にカストロとゲバラの人間性についてまではあまり知らなかったと読後感を寄せてくれた。私自身も調べてみて初めてキューバの歴史や革命について意外な一面を知ることになったが、昨年偶々キューバを訪れる機会を得て改めてキューバの実情や、革命の志士たちの功績、人間性を知りえたことは幸運だったと思うし、大きな知的財産になったと思っている。
さて、あの阪神・淡路大震災が発生してから今日が22年目に当たる。その12年前の1985年に兵庫県海外教育視察団の添乗員として26名の公立小中高の先生にお供してアメリカのイリノイ州とメリーランド州で学校と教育機関を視察したが、震災後大分経ったころ開かれた懇親会の席上で震災に被災された先生方からかなり生々しい体験談を伺ったことがある。家の中で身体が横に飛んで行ったというような非現実的な話も聞いた。今も毎年懇親会を開催してお招きいただくが、どうしても兵庫県内で開催されるので、近年はつい足が遠のいている。団長先生にも件のキューバの小冊子をお送りしたところ、お心の籠ったコメントを送っていただいた。
その他に思い出すのは、ブラジルのアミーゴ、アリンドさんから震災直後に国際電話で大丈夫かとわざわざ心配されたお尋ねがあったことである。家族、親戚、友人らにも被害はないようだと伝えたら安心して電話を切られた。外国人友人の温かい心遣いに心を打たれたものだ。そのアリンドさんも寄る年波で、今やあまり健康ではないようで、毎年几帳面に送ってくれていた誕生祝いの手紙とクリスマス・カードも昨年途絶えてしまった。一昨年のクリスマス・カードは1ヶ月以上もかけて年が明けてから届いたが、昨年のクリスマス・カードはまだ受け取っていない。もう40年以上のお付き合いであるが、90歳近い高齢なのでちょっと健康状態が気になっている。
日本は地震国なので、これが永久になくなるということは考えられないが、個人的に少しでも被害を少なくすることは平素より心がけなければいけないとは思っている。それにしても最近しばしば太平洋岸に中小規模の地震が起きるが、自然の力に対して人間の力は弱いことを痛感させられる。