3528.2017年1月9日(月) 戦火のベトナムへ出かけて半世紀

 今日は成人の日である。今では各地の自治体が新成人を祝う行事や催し物を主催してくれるようになり、正に至れり尽くせりだ。私自身の成人式は、生憎浪人生活2年目で目前の大学受験に立ち向かうだけで精一杯で、とても成人式どころではなく思い出は何ひとつない。 

 さて、ちょうど半世紀前1967年の今日は、ひとりでベトナム戦争中のサイゴン(現ホー・チ・ミン)市内を彷徨い歩いていた。この時南ベトナムの首都だったサイゴンで戦争の本当の臨場感、怖さというものを初めて知った。ピリピリするような緊張感の中で回りを気にしながら駈けずり回っていた。太平洋戦争中も空襲下で多少戦争というものを感じてはいたが、終戦時に小学校に入ったばかりで本当の恐怖感のようなものは分かっているとは言えない。サイゴンでは直ぐタン・ソン・ニュット空港で米軍兵にわめかれ睨みつけられ、市内では数日前に爆発があった市場やメコン川、アメリカ大使館、韓国大使館を巡ったり、米軍宿舎前では警戒中の兵士に銃を向けられ、ホールドアップして勘弁してもらった。道路上では装甲車や戦車の行列に行き合い、厳しい戦争というものを成人として自分の目と身体で知った。

 ホテルではチェックイン時にローソクとマッチを手渡されたが、夜になってその意味が分かった。ホテル内が突然停電になって真っ暗闇になったのだ。夜空に砲弾を打ち上げ火花が上がったように、ドンパチと炸裂音が聞こえ、ホテル前を何台もの軍用車がけたたましくサイレンを鳴らしながら走り回っていた。騒然たる雰囲気だった。そんな状態は夜通し続き、とても安眠出来る場合ではなかった。サイゴンを去って間もなく南ベトナムは観光客の入国を禁じた。戦火は益々拡大していった。そして、翌1968年の旧正月にいわゆるベトコンによる激しいテト攻勢により、南ベトナム軍兵士と市民の間に多数の死傷者を出した。ベトナム戦争でも象徴的なエポックとなったテロだった。

 ベトナム戦争の終結は、あれから7年後の1975年まで待たなければならなかった。私にとっては海外への目を開かせてくれる旅となった。一昨年4月ベトナム戦争終結40周年に際し、元べ平連の小中陽太郎さんらと気勢を挙げたが、実に感慨深い。自分にとって自らを成長させ、得難い臨場感というものを感得させてくれた戦時下のベトナムへの旅だった。

 翻って現在の戦争は、ずっと複雑になった。内戦や局地戦が目立つようになり、どことどこが戦っているのか、敵と味方が一目では分からなくなった。戦争に容認出来る理由なんてないが、戦争勃発の要因も、かつてのように多少は同情出来るそれなりの一理ある開戦理由も見つけられず、他国からテロリストが入り込み片方に手を貸すようになった。突然街を歩いていてテロリストに狙撃されることがあるように、今の戦争は正義や道理のない単なる人殺しに過ぎない。国同士の戦いというより部族間、民族間、宗教間の理性や正義が伴わない戦争が起きるようになった。このまま戦争が飛び火したり、無差別爆撃の結果罹災者が増え、難民が溢れ、彼らが世界中に彷徨うようになると、一層大きな不安材料を撒き散らすことになる。

 アメリカではトランプ氏が次期大統領に就任することが決まっているが、これが世界に不安を増大させるのか、或いは収束させるのか、不安な気持ちでいる。まったくどうしてこんな不安感が蔓延る落ち着きのない世の中になってしまったのだろうか。

2017年1月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com