3499.2016年12月11日(日) 漱石逝って100年

 昨10日は、かの夏目漱石が亡くなって100年目の命日に当たる。私も小学校5年生時に母に勧められて「坊ちゃん」を読んで以来、大の漱石ファンになった。メディアでもいろいろ取り沙汰されているが、特に漱石が松山中学、旧制五高で教師を務めた後、朝日新聞社に勤めながら作家としてデビューし朝日新聞に作品を連載したことからとりわけ朝日が熱心である。朝日が版権を持っていたお陰で、昨年から朝日は朝刊に当時の体裁で再連載を始めた。私も改めて漱石を読むことになった。

 「心」「三四郎」「門」と連載され、今「吾輩は猫である」を再連載中である。テレビでもドラマなどで漱石を主人公にした作品がいくつか放映されている。中々理解に苦しむ表現もあり、奥も深くストーリーが手強いことも事実である。それでもこういう哲学的な著作を読むことによって少しは思考力が育まれる。漱石によって幾分なりとも読書力が培われたと思っている。

 文学と言えば、昨日ストックホルムではノーベル文学賞授賞式が行われた。日本からは文学賞受賞者は出ず、医学生理賞を大隅良典・東京工大栄誉教授が受賞された。今年の文学賞は歌手のボブ・ディランに授けられたが、すでに話題になったように彼は受賞者名が発表されても反応がなく、姿を隠し昨日の授賞式にも出席しなかった。ノーベル科学アカデミーに対して失礼だし、ディラン自身傲慢だとの批判、中傷など種々良からぬ噂もあったが、彼自身が作詞した歌詞が高く評価されたことは事実である。一部には、彼の歌詞を文学として認めるかどうかという意見もある。「風に吹かれて」は、歌詞自体が素晴らしいというより、歌曲として優れているという感想である。この点については、またいろんな人から異なった考えが出されるだろう。短い詩の中に、文学性を見出すのだから判定は難しいわけである。それにしてもどうしてディランは、ノーベル賞のようなこれほど価値のある賞を受賞したことを素直に喜ばないのだろうか。ディランは人並み外れた行動をする御仁のようだが、やはり普通の人間とはどこか違うような気がする。

2016年12月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com