3492.2016年12月4日(日) 年賀状に思うことども

 今年も年賀状を書く時節となった。小学5年時以来、毎年この時期になると何枚か年賀状を書いている。いつも通り今年も600枚の年賀状を購入したが、今年はそれほど必要ではないかも知れない。それは今年ばかりは例年に比べて年賀状欠礼のお便りをいただくことが多いからだ。

 振り返ってみて、その中でも一番堪えたのは、8月に中学、大学の同級生・伊藤嘉信くんが肺癌で亡くなったことである。生憎キューバへ出かけていた最中だったので、葬儀には出られなかったが残念だった。奥様と電話でお話をして彼の面影と思い出を偲んだ。竹を割ったようにスカッとした性格だった彼とは、高校では千葉と神奈川に離れて住みながら、お互いに2年間浪人した末に、意外にも同じ大学に入学して再び巡り会い、学部も、登山クラブまで一緒だった。富士山を除く3,000m以上の高峰にはすべて登った。何度も一緒にテントを担いで南・北・中央アルプス、八が岳、飯豊連峰、秩父連峰、谷川岳に登った。卒業旅行では、他の山仲間を交えて1週間ばかり北海道を巡った。それだけに数々の懐かしい思い出とともに一抹の寂しさが込み上げてくる。

 そして、小田急電鉄経理部時代の上司だった岡村透元主計課長の他界である。経理がよく分からず迷惑をかけていた時でも、いつも公認会計士資格を得てその道の専門家だった岡村課長は、温かく激励してくれ、私が経理業務の細かさと面白くないことに耐えかねて、プラハへ出かけようと会社へ辞表を提出した時も、その辞表を机にしまって撤回するまで引き留めてくれた。結果的にはそれがその後の私を育ててくれた。岡村課長はその後小田急電鉄専務を最後に退職され、公認会計士として活躍されてから、私とは以前に増して私的なお付き合いが深まったが、10月に亡くなられた。

 もうひとり忘れられないのは、3月に急逝された隅野成一さんである。隅野さんもあっという間に彼岸へ旅立ってしまった。同じ年齢だが会社では私より2年先輩で、長年旅行会社の営業担当としてともに力を合わせて顧客の獲得に力を注いでいた。一緒にセールスへ出かけたり、ともに謝罪に歩いたり、セールス上の思い出は尽きない。特に、隅野さんから教えられたことは、謝る時の頭の下げ方だった。隣に立っては、まだ頭が高いよと言って一層下げるようアドバイスされたことだ。そのお陰で営業成績を上げられたと思っている。気性の合った隅野さんとは、退職後も1年に2度は会っては気晴らしをしていた。感謝の気持ちでいっぱいである。

 その他にも、高校と大学ゼミの後輩や、ちょうど40年前初めて文部省教員海外派遣団でお供した時の団長先生も亡くなられた。俗っぽい言葉だが、これも浮世の定めだろうか。

 他にも忘れられない友人を喪った。そんなことから年賀状の枚数は減るが、これを書くことによって親しい友人たちとの細くなった交友の糸をしっかり繋いでいきたいと思っている。それが年賀状を書くことを教えてくれた今年33回忌を迎えた、幕張小学校時代の恩師・湯浅和先生へのささやかな恩返しだと思っている。

 ここに挙げた方々のご冥福を心よりお祈りしたい。               合掌

2016年12月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com