3274.2016年4月30日(土) 朝日新聞の記事は公平か。

 朝日新聞社の元論説主幹で主筆だった若宮啓文氏が一昨日訪問先の北京で客死された。海外で客死されたジャーナリストとしては、ヘルシンキ・オリンピックからの帰途ロンドンで亡くなられたNHKの和田信賢アナを思い出す。その当時まだ中学生だったが、強烈な印象として残っている。

 若宮氏は朝日新聞社を退職されたが、フリー・ジャーナリストとして活躍していたことは承知している。年齢的にもまだ68歳で彼岸へはちょっと早過ぎる。今後も若宮氏独自の視点からリベラルで建設的な論調を期待していただけに実に惜しい。氏は朝日社内でも異色な行動で存在感があり、かなり思い切ったことをやるタイプではなかったかと思う。世界中を颯爽と駆け巡り美人秘書を連れ海外へ行ったことが週刊誌にスキャンダラスに取り上げられて物議を醸したこともあった。とにかく良いにつけ悪しきにつけ話題の人だった。

 ジャーナリストとしては一流レベルの人で、私も氏の斬新な切り口の文章を何度も納得して読んでいる。氏を最も有名にしたのは、4年前に海外新聞幹部とともに大統領復帰前のプーチン首相と会見して、北方領土問題を日ロ引き分けで解決しようとの発言をプーチン首相から引き出したことである。

 その若宮氏が例えいかに優れた朝日OBとは言え、昨日の朝刊は氏の写真入り4段記事で大々的にその死を伝えたのは少々やり過ぎで如何かと思う。そのうえ昨日に引き続き、今日もまた大きく若宮氏の死を取り上げた。今朝の第3面の半分を若宮氏の死亡記事に割き、ライバル読売の渡辺恒雄会長の「親友として敬愛していた」などと思いも寄らないコメントを載せたうえに、「中韓からも哀悼」との誘い見出しで国際面に、北京で開催予定の「日中韓公共外交フォーラム」の中韓関係者から、出席予定だった若宮氏の死を惜しむコメントを大きく取り扱う仰々しさである。

 天下の公器とされる新聞記事の取扱いについて、異常とも思える自社元社員の死にのめりこんだような取り上げ方は、聊か常軌を逸していると考えざるを得ない。これでは元自社社員を称える記事ばかり目立って紙面がいびつな構成になっていることに気が付かないのだろうか。昨今朝日が陥っている典型的な言行不一致、バランス感覚欠如、読者無視の表れである。行き過ぎた自社社員賛美記事は、とても公平な紙面作りとは言えない。尤もこれが近年の朝日流儀なのだろうか。

 実は朝日は、23日付朝刊にも2月に亡くなった同社社主お別れの会の模様を2段記事扱いで載せている。ここでも「天下の公器」を堂々私物化している。最近朝日とのやり取りを通して、庶民とは別格と吹聴する思い上がった「朝日人」の上から目線意識が鼻持ちならないと強く感じているが、こんなところにも傲慢朝日の他人を見下す「俺様意識」が見られる。

 普段周囲からのプレッシャーに耐えていると言いながら、自分たち身内のネタとなると大々的に伝えて自社の存在をここぞとばかりPRしようとする。しかも、読者の質問には一切応えようとせず、朝日にとって都合の悪いことは一切無視する。これが世の高齢者を蔑視、愚弄している朝日新聞の本質なのだろうか。いずれ傲岸不遜街道を得意顔で歩き転んで大けがをするのが関の山だろう。

2016年4月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com