今朝新聞の一面トップに「コロンビア大統領にノーベル平和賞」の見出しを見てオヤッと意外な感を覚えると同時に、これで良かったと一安心した。先月27日付ブログに書き込んだところだが、コロンビアのサントス大統領とコロンビア革命軍ロンドニョ最高司令官の間で和平合意書に署名して半世紀以上に亘る内戦に終止符が打たれたことにほっとしたところだった。記事にはうまくすると両者に今年のノーベル平和賞が授与される可能性があると触れていた。ただ、一抹の不安は、最終的に国民投票に和平合意の賛否を委ねるとあった。だが、22万人もの死者を出し、長らく続く内戦状態で国内が混乱して厭戦気分が充満し、対立争いに幕を降ろすことができるなら合意文書の反対者は少ないだろうと考えていた。結果的にこれが淡い希望に過ぎず、何と僅差で合意文書が国民によって否定されてしまったのである。これでノーベル平和賞の望みは消えたと思っていた。
しかし、ノルウェイのノーベル委員会は和平への望を失わず、当事者双方が和平へ一層の努力を傾け和平を実現して欲しいとの期待をサントス大統領に託した。戦争はもうこりごりだという国民が多数となることを期待したのである。大統領もノーベル平和賞は名誉な賞であり、国民がいただいたものであると考えていると言った以上、コロンビア国民がノーベル平和賞に値する行動を取られることを期待したい。
上記のニュースについて朝日新聞は社説で「コロンビア 和平への希望をつなげ」と複雑な中身の合意に、単純な賛否の選択を迫った国民投票という手法が正しかったのかと疑問を呈している。同時にコロンビア社会には長い争いが生んだ国民同士の分断があり、ノーベル委員会が国民対話の大切さを力説したことは賢明だと評価している。果たしてコロンビアは世界中の平和希求者の期待に応えてくれるだろうか。
ついては、昨日のブログで菅官房長官と稲田防衛相の架空領収証について非難したところだが、この朝日社説ではもうひとつ「白紙の領収書 これが大臣の『常識』か」と厳しく追及し、稲田防衛相の発言は常識外と手厳しい。しかし、政治家なら誰でもやっていると言わんばかりで、あまり堪えていないのかも知れない。この様子では、同じようなことを他の国会議員もやっているようで実にふざけている。
さて、今年4月にホームページをリニューアルした。いろいろ新しい試みにもトライしてみたが、ちょっと厄介だったのは過去に3千回(3千日)を超えるブログをアーカイブスとしてHP上に残すことだった。面倒なのは、新バージョンに移行させるのに伴い特別なアプリなどがあるわけではなく、毎日のブログをこつこつと新しいアーカイブスとして作り直しHPに残すことだった。結局3千回を超えるブログを毎日日時を遡って新バージョンに移して、今日やっと第1回目の「2007年5月15日」のブログに辿り着き、今日までの3435回(日)分をアーカイブスへ移行する作業は終わった。ホッとしたところである。この作業だけのために半年近い日時を費やした。文字数にして400万語を少しずつ移し替えるという気の遠くなる作業を何とかやり終えた。これで、これからはこれにかけていた時間を他の有益な作業に使える。とにかくやれやれである。