144.2007年10月5日(金) 元全学連書記長・清水丈夫さんの思い出

 今朝日経紙に連載中の「私の履歴書」を読んでいて、筆者、青木昌彦・米スタンフォード大名誉教授が書かれた執筆内容に目を惹かれた。60年安保闘争前後の全学連内部の様子とスタッフについて書かれていたからである。あの時代は、国をあげてマグマのような熱気が溢れ、若い学生、労働者は真剣に日本の将来を心配して安保条約改定に反対していた。いまの若い人たちには、情けないことにこういうエネルギーはないように思う。私自身あまり主体的に活動するということはなかったが、何度か討論会、集会やデモに参加した。青木氏も運動の過程で逮捕されたという。

 青木氏は56年東大現役入学というから、年代が清水丈夫さんとぴったり合う。その清水さんについて今日若干書かれていた。清水さんは、学生運動の元闘士で全学連では書記長を務めておられた。湘南高校ラグビー部の一年先輩だった清水さんとは、同じフォワードの一員として一緒にスクラムを組んでいた。私が浪人生活を送っていたころ、すでに全学連内で頭角を表し、詳しくは分らないままに先輩として一種畏敬の念を抱いていたものである。先鋭的な活動で、当時の学生運動の先頭に立ち、学生同志や仲間から敬われカリスマ性も漂っていた。

 私が2年浪人した後に慶應へ入ると、どこで知ったのか、同じ経済学部のクラスメートだった福島県出身のW君を通して、慶應日吉キャンパス内にオルグを作れとのメッセージを受け取った。長い浪人生活を終えたばかりでぼっ~としていたころだったので、その当時運動に積極的に関わることはなかったが、あれ以来清水先輩と直接接触はない。その後、先鋭的な活動面においてひた走りに走った清水さんは、東大籠城事件の際、官憲と和合した東大当局の学外排除により、東大構内から出たところを警視庁機動隊に、寄ってたかって押さえ込まれ逮捕連行された。それ以降清水さんの消息は杳として伝わってこない。

 私が多少なりとも、社会主義や、社会問題に関心を抱くようになったのは、大学ゼミの飯田鼎教授の指導に拠るところが大きいが、最初に社会主義に関心を持ったのは、清水さんを知っていたことが大きかったと思っている。

 断片的に伝えられる情報では、拘置所内で一心不乱に「資本論」を読み耽り、取調官や看守もいたく感心していたと聞く。妥協することは決してしなかった清水さんだが、あの優秀な才能と温かい人柄を考えると、あのままわれわれの前から姿を消してしまったことが残念でならない。

 清水さんの消息はいまもって分らない。ただ、ご実家が農家であったことから、私が長らく会長を務めていた高校ラグビー部OB会から各種の案内状を差し上げても、宛名不明で返送されてきたことがないので、ご実家にご家族、ご親戚がおられることは推察出来る。でも、どこかにおられるのであれば、何とか一度会って直接話してみたいという気持ちがある。

 清水さんと中学、高校で同級だった、近所に住むラグビー部の和田正温さんにも連絡をとったところ、懐かしがっておられた。やはりお会いしたいようだ。

 清水さんが強く反対していた60年安保条約改定の首謀者、岸信介元首相は機動隊を国会議場へ入れて法案を通過させた後に、所期の目的を果たしたとして職を辞した。その孫で「安保に反対する人は胡散臭い」とたわけたことまで言っていた、憲政史上最低の首相、安部晋三氏は、お坊っちゃま流に「ぼく、や~めた」と呆れた自己消去法で消えていった。

 それに引き換え、清水さんのフェイドアウトは、限りなく有能で温かく愛すべき人柄だっただけに、余計惜しい気がしてならない。

2007年10月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com