225.2007年12月25日(火) 年賀状を書く気持ち

 15日から年賀状を受け付けている。今日第一弾として535枚の年賀状を近くの郵便局へ持参した。15日の朝日「天声人語」によると、最近は文面デザインはおろか、宛名も印刷された年賀状が増えたようで、「天声人語」氏に今年届いた年賀状の約6割が宛名は印刷され、そのうち半数はまったく肉筆がないと慨嘆していた。相手を思い浮かべながら名前と住所を書いて一言添える旧来の年賀状が徒に機械化され、情緒や通い合う温もりが薄れつつある。年賀状も本来の意味を失い、形式的になりつつある。

 私自身文書については、こだわりを持っていて宛名書きは万年筆を使って手書きで書けるなら、出来るだけ万年筆で仕上げることに固執している。時間もかかるし、時には書き損なうこともあるが、やはり書簡の類は、数百枚程度なら手書きに限る。

 これは幕張小学校時代の恩師・湯浅和先生の「三つ子の魂」の教えである。小学生に手紙の書き方、年賀状の書き方、手紙を書くことの心構えを丁寧に教えてくれた。湯浅先生が、手紙ばかりでなく、工作、絵画、俳句のほかにも賞状のいただき方や、朝鮮戦争に国連軍を投入した理由等も情熱的に教えてくれた。そのおかげで、授業も楽しく先生との絆が深められた。いまでもクラス会を和(やわら)会と称して先生を偲びながら、毎年2回教え子が集まり交流を図っている。あんな素晴らしい先生は、あまりいないのではないかと思う。時代性もあるが、いまの学校教育の現場では中々こうはいかないだろう。

 湯浅先生のおかげで、今でも手紙やハガキは必ず万年筆で認める習慣が身についている。筆で書くことはよほどのケースでなければしないが、万年筆による直筆だと巧拙、性格、感情もある程度推し量ることが出来るように思う。今日投函した年賀状も手書きなので、かなり時間がかかったが、少しでも自分の気持ちを相手に伝えたいとの心配りのつもりである。

 会社勤めのころ、お客様への便りとか礼状は書式に則って必ず万年筆で丁寧に書くよう若い社員に指導していたが、万年筆は使えない、理由は持っていないからと聞いて愕然としたことがある。いまの若い人たちもきっとそうなのかなあと考えてしまう。大体万年筆を英語で‘fountain pen’というのがいい。泉の如く知恵も流麗な文もあふれ出てくることを象徴しているようだ。

 他人のことはともかく、やはり丁寧に書かれた書状をいただいた時は、相手の気持ちを考えて気持ちが爽やかになる思いである。

 年賀状ではないが、今日ニューヨークとブリュッセルの知人からクリスマス・カードを受け取った。これだって近況報告が沢山書いてあって、彼らの日常生活を想像するだけで楽しい。ニューヨークの知り合いはマ・テン・チさんというビルマ人の女性で、ビルマ航空のスチューワデスだった。最近カレッジを卒業した娘を連れて、30年ぶりに母国ビルマへ帰ったと書いてあった。海外に生活するビルマ人は、軍政下のビルマ社会がどうなっているか情報がなく、とても心配している。

 ブリュッセルの知人、安原久雄さんとはもう30年以上のお付き合いになる。長い間ブリュッセルに住んで、マクロビオテックという有機農業や、自然食の分野で普及活動を続けておられる。今月80歳になったという。健康状態は良好だが、最近はトイレで用足ししてもペーパーは要らないと言っている。彼曰く「野生動物に近づいた」が、読書オタクになったというから、やはり野生動物とは決定的に違うインテリ人間だ。彼もコーヒーの飲みすぎとヘビースモーカーという活動の主旨に反する生活をもっと抑制すれば、さらに快適な生活を送れるだろうに。こういうプライベートな手紙のやりとりも手書きだから伝え合うことが出来ると思う。

2007年12月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com