昨晩の臨時ニュース「パキスタン・ブット元首相暗殺」にはびっくりした。いま、世界中で最も政治・社会情勢が不安定で、崩壊すると最も危険な国はパキスタンと言われている最中である。ブット氏は10月に亡命先のイギリスから帰国したが、まさにその直後カラチ市内で自爆攻撃により間一髪で難を免れたばかりである。帰国当初はムシャラフ大統領と手を組むのではないかと憶測されていたが、結果的には離反する結果となり、事件の背後にはムシャラフ派の暗躍があるのではないかと噂されてもいた。
昨日ブット氏が銃撃されたのは、ラワルピンディ市内の集会後、車へ乗ろうとした瞬間である。首都イスラマバードから西へラワルピンディ、ペシャワール、そしてタリバンの潜むパキスタン・アフガニスタン国境へ通じる国道沿線は、部族勢力、タリバン、パキスタン国軍らが激しい綱引きを繰り返している、極めて治安の不安定な地帯である。現場の臨場感はぴりぴりしている。今年7月にも宗教学校寄宿舎で軍隊と衝突があり、多数の犠牲者を出している。この様子では、来年1月8日に予定されている総選挙も予定通り実施出来るかどうか微妙になってきた。
ブット氏の父、アリ・ブット氏は国連外交で鳴らした著名な外相だった。その後首相になったが、反対派のシャリフ元首相に追放され、挙句に処刑された非業の人だった。娘のブット氏は昭和天皇の葬儀に参列されたが、その来日時、日本の警察制度を高く賞賛し、交番制度をパキスタンでも採用することを決断された。
2000年3月、私がインダス文明のモヘンジョダロ遺跡を見学した時に、モヘンジョダロ入り口に、ブット元首相のアイディアで設置された、新しい交番がぽつんと建ってあった。しかし、地元の人に聞くと、あまり効用がないようで、巡査はおらず子どもの遊び場になっていたのが、何とも儚かった。
それにしても、核保有国パキスタンの治安が不安定なのが気になる。強烈なイスラム教徒を抱えるパキスタンから世界中に放たれたテロリストも、どれくらいいるのか見当もつかないという。いまや不穏な空気が漂って危険ゾーンとなった国道線も、私が訪れたころもすでに不穏な空気が漂っていて、カイバル峠近くの銃砲店の繁盛する現場を見て、臨場感から近々反米テロを指摘したものだった。ニューヨークの9・11テロが勃発したのはこの1年半後だった。
世界中の指導者が一斉にテロリストを非難する声明を出した。地球上に安全なところは益々なくなりつつある。
今年の東京株式市場の大納会は、日経平均株価が前日比256.91円安の15,307.78円で終わった。年初から下がったのは、実に5年ぶりである。アメリカのサブ・プライム・ローン問題の影響を受け、世界中が衝撃を受けた中で最も打撃を受けたのが東京市場である。7月9日に最高値18,261円になったにも関わらず、結局日本の株価は世界経済の中で評価されず、瞬く間にしぼんでしまった。日経夕刊紙にも「世界主要市場の中で東京市場の低迷ぶりが際立つ一年になった」とある。来年はもう少し明るい年であって欲しい。