とうとう今年もあと2日となった。ありきたりだが、あっという間の1年だった。来年はいよいよ「古希」を迎えることになる。幼いころや、若いときにはとても老いた自画像なんて想像もしなかったが、現実にそれに近い年齢になってみると、何だか寂しいような気がする。振り返ってこれまで自分がやってきたことについて、特別悔いが残ることはないが、これから先新たに、大きな目標を持ち先頭に立って動ける可能性がないことが残念で寂しい。ちまちまとのんびり生きていくことは、まず大丈夫だが、やはりこれまでガツガツとやってきただけに、大勢の先頭に立ち、身体を使って動く機会がないことは、人生において画竜点晴を欠くような気持ちに捉われないこともない。人生というのは、自分が主体的に動かなければ成長もしないし、やりがいも生きがいもない。
人並みに今年を振り返ってみると、健康面でドック検査を2度も受け、内臓疾患のないことが確認出来た。また、通院しながらも両膝の炎症が若干回復しつつあるが、まだ完治に至っていない。後は風邪をひいたことと、ひょうそうをやってしまったことぐらいか。血圧もやや高くなってきたので、内科で血圧降下剤をもらい、毎日数値を測定し経過観察している。幸い、一時は上が160ぐらいあったものが、最近では120前後にまで下がってきた。充実した生活を送るためにも、年齢的には来年も健康管理が最大の目標である。
執筆関係では、ある程度自由に書くことが出来たが、肝心要の次回作品「停年オヤジの海外武者修行」を上梓出来なかったことが情けない。今年の年賀状では年内に上梓すると宣言しておきながら実現出来なかった。大体大筋は書き上げたのだが、構成上どうも気になって文章の入れ替えをやったり、書き換えたり気持ちが定まらないまま遅れている。日本旅行業協会会長・新町光示先輩(㈱ジャルパック会長)に推薦文をお願いしたのは、昨年のことである。お詫び状は差し上げてご了解はいただいたが、期待していただいている新町さんには申し訳ないと思っている。
特記事項は、①元旦早々高校ラグビー部OB会長を辞したことだ。7年間会長職を務めたが、やはり心身ともに解放された感じである。これからはOBのひとりとして側面的に協力していきたい。②4年ぶりに海外へ出かけたことである。それも念願としていたチベットへ行き、ポタラ宮殿を見学したことと、青海チベット鉄道に乗車して海抜5千mを越えたことである。③自分の墓石を近藤家の墓地内へ建てたことも大きい。
長い間気がかりだった、湘南高ラグビー部の1年先輩である、清水丈夫さんが元気でどこかにおられるということが分かったことは嬉しかった。前進社へ連絡すれば、メッセージは届けてくれるようだ。清水丈夫選集を1冊入手しただけでも清水さんの息吹を感じられるようで安心出来る。失礼ではあるが、一時はもう亡くなられているのではないかと心配していただけに、直接コンタクト出来なくてもどこかに元気でおられるということだけでも、ほっとしている。清水さんは学生時代に六〇年安保闘争へ導いてくれた人でもある。
来年の目標としては、①健康管理にもう少し気を配って、血圧を安定させ、風邪をひかないよう注意する。②前記拙著を上梓する。③気の利いた自信作エッセイを書きたい。④この「ご意見番の意見」を軽装丁の自費出版物として記録に残したい。⑤海外へ1~2回は出かけたい。等々挙げることが出来るが、どの程度実現出来るだろうか。健康状態は今年よりは良くなると思うので、何とか大(中)願成就してみたい。
ところで、現在「世界遺産」としてユネスコから承認されているのは、851箇所である。そのうち、134箇所を訪れたつもりで、チベットのポタラ宮殿と大昭寺を加えて136箇所と計算したら、ポタラ宮殿も、大昭寺もラサ市内の施設ということで一括承認されている。ということは、1箇所追加するだけだ。京都市内の寺院が一括して京都歴史地区として指定されているのと同じである。そこで、改めて私自身が訪れた世界遺産を正確にチェックしてみた。新たに登録された場所も付け加えたりして増減を調整したところ、その数は138箇所だった。昨日訪中している福田首相が、世界遺産である孔子の故郷・曲阜を訪れたそうだが、もう20年以上も前に列車で北京から上海へ向かう途中で曲阜を通過した時に孔子に思いを馳せたことがある。その福田首相が今日中国から帰国した。人気が低迷して自民党としても悩んでいたようだが、薬害肝炎一律救済を議員立法化で解決しようとの意気込みと、中国内における首相への好評価によって点数を稼ぎたいようだ。就任以来、3ヶ月余で福田色も充分な結果も出せず、真の評価は来年が正念場だろう。