243.2008年1月12日(土) 山崎洋さんの話を聞く。

 セルビアのベオグラードで活動している友人、山崎洋さんが一時帰国した。駐日セルビア大使館で開かれた、近訳書「ブランコ・ヴケリッチ 日本からの手紙」の出版記念会に出席するためである。その出版記念会に合せて、渋谷のNPO「歴史文化交流フォーラム」が定例セミナーの一環として、今日山崎さんと元朝日新聞記者砂山清氏を招き、講演会を催した。数日前に山崎さんから、その企画について手紙で連絡があり、ゼミにも声をかけたところ須藤晃くんが参加してくれた。

 大体4~50人ぐらいの人たちが出席したが、ジャーナリスト、大学教授、海外留学者、海外生活者、旧東欧圏文化に関心のある人等々、真面目でインテリの人がほとんどだった。実際現地へ行った人もかなりおられた。代表者は法政大学国際文化学部・南塚信吾教授で、やはり東欧方面の研究者だった。

 山崎さんはジャーナリストとしての父親について、父上が残された多くの記事を通して得た情報を要約して話されたが、中々話が上手で1時間少々よどみなくポイントをついて飽きさせず、時にはジョークを交えて話された。あんな追い詰められた時代だったが、日本人と違って外国人特派員は、精神的に余裕のある取材をしていたことや、日本人記者が得られない情報を持っていたことが訳書からもよく覗える。父上の送信原稿には、日本の社会状況とか、日本人の実生活、日本の文化や伝統、日本人が野球好きだという話等をユーモアたっぷりに書いている。初めて山崎さんの話を聞いて、話の論点を整理してうまくまとめて話す人だということがよく分かった。最近になって父上の遺骨を預かってくれた神父のトレースを追って行った結果、遺骨が戦火に遭って消失した場所が判明したので、偶々明日13日が父上の命日に当たることでもあり、明日その地を訪れ追悼するつもりだと話していた。場所は三軒茶屋だそうである。

 一番驚いたのは、その後の立食パーティで佐々木(平井)和子さんという女性にお会いしたことだ。佐々木さんは60年安保闘争にも参加して、その後チェコ・プラハのカレル大学へ留学したが、それよりも早大生だったころ檄を飛ばしに度々早大キャンパスへやって来た全学連書記長だった清水丈夫さんをよく知っているとの話には本当にびっくりした。清水さんの奥さんも早大生で友人だったと聞いて、意外な縁を感じる。元同志のスタンフォード大・青木昌彦名誉教授の「私の履歴書」の内容もよくご存知で、青木氏の性格、行動についても批判的だった。参加された皆さんは、真面目な方ばかりでNPO組織でポジティブに勉強に励んでいる。向上心に富んだ方々ばかりで、良い出会いだった。

 今日午後、雨の中を国立競技場で大学ラグビー決勝戦が行われた。出かける時間の関係で前半戦しか見られなかったが、久しぶりに決勝戦へ進出した慶応は、やはり好敵手・早稲田に及ばず、後半ミスが出てノートライのまま26-6で敗れ、残念ながら8年ぶりの優勝は成らなかった。

2008年1月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com