252.2008年1月21日(月) 心配な日本外交の将来

 「論座」2月号に中々秀逸な論文が載っている。戦後の日本外交が辿ったトレースと未来展望を分析したものだ。「日本外交を構想する」と題して、添谷芳秀慶大東アジア研究所長が寄稿したものである。論点は二つある。日本外交のスタンスに観念論が左右しているということと、日本の外交機軸は米中ロの谷間の存在ではなく、それらに捉われない、アセアン、豪州、韓国に軸足を置くべきであると提唱している。吉田外交の平和憲法による武力放棄を、何とか日米安保で下支えしてきた矛盾の経緯についても触れており、大筋で同感出来るもので内容的にも読み応えがある。

 これを読んでいると外交官は単なる職業外交官というわけではなく、政治力、先見性、教養、コミュニケーション力も持たなければ、国家の過ちに加担することになると示唆している。そのためには外交官は、平素から生きた正確な情報収集のために、現地の人と幅広く、ポジティブに接触する努力を怠ってはならない。

 どうも日本の外交官は、情報はパーティで入手するものだと思っている節がある。迫力も泥臭さもまるでない。特に地位が上がるにつれてそういう傾向がある。同誌上の「歴代の駐日英国公使1859-1972」書評欄にも書かれているが、「東京に駐在する外交官の中で日本の悪口ばかり言う人がいる。彼らはたいてい日本人の友人がいない」。これは、日本人外交官にとっても反面教師であって、引っ込み思案の日本人外交官には、プロトコールばかり気にして尊大なエリート意識が強い人が多く、現地の人たちとのコミュニケーションが少ない。その点では、賛否はあるが、ある面で外務ノンキャリア官僚の佐藤優氏のように、相手国の言葉を話せて酒も強く、どんな人とも対等に付き合い人脈を構築し、相手の懐に飛び込んで情報を手繰り寄せる、図太さがある面では必要である。場合によっては、「清濁合わせ呑む」度量も必要ではないか。

 日本の外交官は昇進の階段を昇るにつれて、自分の経歴に傷がつかないよう大胆な行動を慎む傾向がある。しかも、上に行くに従って赴任地における直近の勤務経験がない。情報を取るべき相手国の要人との間に緊密な人脈が構築されていない。自然に情報収集は部下任せになる。これでは自分の直感や判断力が鈍って、独自の構想もまとまらないし、まったく外交面で力を発揮することは出来ないだろう。日本では一番重要な外交と防衛が弱々しいひよこなのだ。とても、したたかな一等国の外交官と太刀打ち出来るわけがない。日本には、まだ鎖国時代のトラウマが残っている。

2008年1月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com