310.2008年3月19日(水) メディアは自らを壊している。

 昨日のブログに書き込みした「中国製ネズミ死体混入食品」について、やはり今日のテレビ、新聞はどこも報じなかった。これは一体どういうことなのか。1月に起きた日本国内のギョーザ農薬混入事件の際は、各マス・メディアが寄ってたかって報道を競い合う騒ぎだったが、同種の事件が韓国で発生したことに対する取り組みは、突きっ放したような印象を与え、少々違和感がある。製造会社の中国と輸入販売先の日本と韓国が共同で原因捜査、究明し、当事国の3国が共同して真相を調べる必要がある。そのためには、同じように情報を共有してことに当らなければならない。ひとつの国が情報を公開しているにも関わらず、他の国で知りませんでは話にならない。

 同じ1月に起きたソウル市郊外の利川倉庫大爆発事故について、インターネットで改めて検索してみると、2つのことが分かった。これも日本国内では、ちょろっと小出しにして後は蓋をしてしまった事故である。

 どうも分かりにくい。利川事故そのものの死者が40名で、そのうち出稼ぎの中国人が12名も犠牲者となって、目下中韓両国が外交ベースで補償問題等の話し合い中である。国籍とはまったく関係なく大惨事である。爆発事故が日本では共同通信社を通して配信されていることが確認出来た。日本の地方新聞社はほとんど共同通信と配信契約を結んでおり、地方新聞社はこのニュースを手元に抱えていたことになる。それにも関わらず各社とも大手メディアと横並びで一斉に報道を控えた。何か隠された不透明さがある。

 もうひとつ、ゆるがせに出来ない事実は、いくつかの情報にクリックしたところ、WEBサイト上の「朝鮮日報」情報の相当数がウィルス駆除のためとか、他の理由によって記事が削除されていることである。1月末に覗いた時には、写真入りで詳細が記載されていた。どうも恣意的な感じがしてならない。

 これらの現象は何を意味しているのか。些か大政翼賛的ではないか。わが国では巷に情報が出回り過ぎて情報の洪水に飲み込まれそうなくらい報道の自由を謳歌しているような空気がある。それに引き比べて、先日のビルマの民主化シンポジウムでは、日本へ亡命したビルマ人が、ビルマの自由抑圧に比べて日本が自由で、書きたいことを何でも書ける自由が素晴らしいと、日本の報道の自由を褒めちぎり羨ましがっていた。だが、日本のジャーナリズムには表面的に自由があると思われながら、実は情けないことに、報道の当事者が自ら伝える自由に自己規制を課している構図がある。ジャーナリズムは意識しない間に、自らの権利と責任を放棄しているのだ。これこそが一番恐ろしい。ジャーナリズムは少しずつ内部崩壊しているのに、自分たちはまったく気づいていない。

2008年3月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com