311.2008年3月20日(木) イラク戦争開戦5周年

 5年前の今日イラク戦争が勃発した。シベリア鉄道の旅を終え、ウラジオストック経由で丁度モスクワから帰ってきた、まさにその日だった。ウラジオストック空港のトランジットルームのテレビで、米軍機がイラクを攻撃している映像を見て、ついに始まったかと感慨無量だった。新潟空港へ降り立ち、JR新潟駅へ向かう途上で地元テレビ局から街頭インタビューされ、「イラク戦争が始まりましたが、ご存知ですか?」と尋ねられたことが昨日のことのように思い出されてくる。実は、その数ヶ月前霞ヶ関ビルのトラベル懇話会で旅行業界関係者を前に「アメリカは必ずイラクを攻撃する」と持論を展開して、その場に居合わせた関係者の目をパチクリさせただけに、随分印象に残るイラク戦争開戦だった。

 そのイラク戦争は、結局アルカイーダとフセイン大統領の親密な関係とか、イラクが秘密裏に核兵器の開発を進めていると、アメリカが一貫して主張していた開戦の理由が、その後根拠がなかったとアメリカが自ら弁明するに至って戦争の大義は霧消した。そして、5年間にイラクでは15万人以上が亡くなり、アメリカ兵も4千人が命を落とした。フセイン亡き後、イラク国内の混乱は益々酷くなり、テロが絶えず、宗派対立は一層激しくなり、治安は悪化する一方である。

 日本政府もサマワへ自衛隊を派遣することによって、渋々アメリカの要請による国際協力の一翼を担うことになった。イラク開戦によりアメリカは戦前の予想に反して、泥沼にのめり込んだ。駐留部隊を増やしながらも事態は好転せず、「留まるも地獄、退くも地獄」ののっぴきならない状態に喘いでいる。アメリカ国内にも厭戦気分が蔓延して、かつてのベトナム反戦運動が次第に二重写しになってくる。

 これからどういう道筋を辿って最終的に終戦へ収束させていくのか。アメリカの正義によるものだと度々アメリカは世界に向かって宣言していたが、つまるところ正義ではなく、アメリカの都合だった。戦争に勝者はないといわれるが、この閉塞状況を今秋の大統領選挙へ向け、アメリカはどのように世論を納得させるのか。前途は厳しく、気が重くなる話だ。

2008年3月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com