昨日小田実の傑作「何でも見てやろう」の5度目を読み終わって、改めて小田の好奇心と行動力に感嘆する。40年前に書かれたものなので、時代の空気や背景も変わり現状認識からすればかなりずれている点も見られるが、見方と視点は相変わらず瑞々しい。いまも変わらず私の怠惰と無気力を鼓舞してくれる大きなエネルギー源である。
今日は阿川弘之の新潮新書「大人の見識」を読んだが、最後のトピック「温故知新」について阿川流の解説を読み、改めてそういう意味だったのかとひとり納得した。孔子の言葉である「温故知新」の書が、幕張小学校の校長室に掲額されていて、当時の担任教師の湯浅和先生がその意味を分かりやすく説明してくれ、それ以来度々口誦んでいた。当時から「古きを尋ね、新しきを知る」という意味だと教えられたが、この「尋ねる」の言葉を「温ねる」と書き換えたのは、ただ尋ねるのではなく、温めて尋ねる、つまり伝えるような気持ちが篭っているということのようだ。何でも吉川幸次郎の師、狩野直喜の「論語」に次のように書かれているそうだ。
「温とは、肉をとろ火でたきつめて、スープをつくること。歴史に習熟し、そこから煮つめたスープのような知恵を獲得する。その知恵で以て新しきを知る」
「温故知新」は私の好きな言葉のひとつであるが、何となく温かい感じのする言葉であり、教訓的な言葉でもある。いままで何となく「古いものを辿って行けば、新しいものが見えてくる」程度にしか考えていなくて、それでも意味にそれほど差はなかったが、やはり本当の意味を知ると言葉にも説得力が出てくるような気がする。今日は阿川弘之先生のおかげで得をしたような気がしている。