今日から18日までブラジルの首都リオ・デ・ジャネイロでパラリンピックが開催される。オリンピックもさることながら、同時に開催されるパラリンピックも近年注目されるようになった。残念ながら国がらみのドーピング違反によりロシアが今大会から締め出された。だが、開会式を観ている限り、派手なショーではオリンピックに一歩も引けを取らない。当分テレビでも賑やかに伝えられることだろう。
さて、今月に入ってから№のついた台風が日本列島を出入りして今日も13号の影響を受けて各地で大雨、洪水の警報が出されている。その中で先月末台風10号による豪雨のため「森と水のシンフォニー」をアピールする岩手県岩泉町が大きな被害を受け、現在人口約1万人の内1割の住民が避難している。本州では最も面積の広い町として知られている岩泉町は、県内の北東部位置して陸中海岸からやや離れ、山林に囲まれたいわゆる農村地帯である。町には唯一の観光施設として龍泉洞という鍾乳洞が知られている。ここに突如のように襲来した台風によって小本川沿いの山が崩れて道路が寸断され、現時点で約70名が孤立して死者が今日判明した2人を含めて17人も出ている。
なぜこの岩泉町に関心があるかと言えば、古い話だが終戦の年から住んでいた千葉県勝山町(現鋸南町)の明治乳業(現明治)社宅の隣の家屋の今戸さんが、戦後まもなくして岩泉工場へ転勤されることになり転居前にひとしきり岩泉という町の話題に花を咲かせたことがあった。その時岩泉は広い町で山に囲まれ酪農には恵まれた土地だと聞かされていた。だが、岩泉は山中にあり勝手ながら海に面した勝山から考えて寂しいところではないかと母が気にしていたことが思い出される。
このような自然災害に襲われるとは、不運としか言いようがない。明治乳業岩泉工場は今では閉鎖され、ここには地元の岩泉乳業という後継会社がヨーグルトを主力商品に生産に励み、過去2度に亘って国際最高品質賞を受賞したという。
父が明治乳業京都工場長として京都へ赴任したのは、昭和27年だったが、その京都工場でヨーグルトを初めて本格的に製造販売し、我々子どもたちに栄養価が高く美味しいから食べてみろと商品を持って帰って来た。それがヒット商品となった「明治ブルガリア・ヨーグルト」につながっている。懐かしい思い出である。
今では今戸家の人たちとはお付き合いはなくなったが、この豪雨により図らずも子ども心にも遥かに遠い町だと思い込み訪れたこともない岩泉町のイメージが、思いがけず自然にふっと浮かんできたから不思議なものである。
台風の爪痕は町のいたるところに残されている。町は南北の山を後背にして狭い平地に川が流れ、その沿岸が崩れて道路が寸断されている。復旧には相当時間がかかることだろう。町をこれからどうやって復旧させていくのか、県、町、そして地元民ならずとも気になるところである。
今日も関東から北日本にかけて台風13号の影響で大雨を降らせている。今日から明朝にかけて再び岩泉町にも大雨がやって来る。これで先月末から入れ代わり立ち代わり襲来する台風に日本列島全体が痛みつけられている。自然の摂理とは言え、日本はいつまで経っても自然災害が最強の悪魔であると覚悟しなければならないのだろうか。