駒沢大の講座で菱山郁朗講師が、日本テレビ時代の現場体験から現場の大切さを話されて、われわれが常に考えている現場の臨場感がいかに大切なものであるかということを改めて認識させられた。現場で取材して報道することが重要であると何度も力説された。自分の足で取材しないで、聞いた情報とか、インターネット情報に頼るようになってはダメだとも話された。
しかし、実際には現場で取材したことがそのまま報道されるわけではなく、テレビ局内でディレクターを中心に議論の末に取捨選択して優先順に報道されるという。果たしてここに思惑や圧力が入り込むスキはないだろうか。
ところで、1月のソウル市郊外利川の冷凍倉庫爆発事故の報道を横並びで止めたのは、それとはまったく異なる話で、これはテレビ局編集部の判断による報道の採否ではない。もっと大きいところで成り行きが決まったようだ。事故の直後に2つのテレビ局で報道しているのを実際に私自身この目で観ている。他にも報道したテレビ局があったかも知れない。問題は、その後になってそのとき報道したテレビ局を含め、すべてのテレビ局とすべての新聞、雑誌が申し合わせたようにまったく報道しなかったことである。まるで報道管制が敷かれたようだった。翌日以降ピタリとマス・メディアが報道をしなかったことに、韓国側か、日本側か分からないが、恣意的で政治的な意図があったのではないかと疑問を抱かざるを得ない。その点を尋ねているのだが、まだ講師から明確な回答はいただいていない。今日は前もって講師が叔母の通夜のためちょっと早めに終了すると言っていたので、質問もできなかった。来週改めて答を聞きたいと思っている。
今日20年前の幼児陵辱殺人事件の犯人、宮崎勤の処刑が執行された。あの当時この幼児誘拐殺人事件は世間を騒がせ、小さな子どもを持つ親の心胆を寒からしめた。ついに今日まで犯人の口から反省や謝罪の言葉は聞かれなかった。作家・佐木隆三氏が述べていたが、神戸の酒鬼薔薇事件、先日の秋葉原通り魔事件のような世の中をすねたような変質者が現れないようにするには、家庭でそういう人間を出さないように家族がみんなで見守ることが大切だと話していた。結局家庭がしっかりしてそういう子どもを出さないようにすることしか防ぐ方法はないと言っておられたのが、印象的だった。