3400.2016年9月3日(土) ある友人の死

 腰打撲の状態を診てもらうため、早速かかりつけの松本整形外科へ伺った。レントゲン検査で診断していただき、コルセットをつけて無理せず生活するようアドバイスを受けた。しばらくは窮屈な生活になる。

 さて、帰って来てから随分訃報を知る。中学・大学の同級生・伊藤嘉信くんが肺がんのため、旅行に出かける前日の8月25日に他界されたことを別の友人からのメールで知った。ショックである。

 伊藤くんの葬儀は旅行中の31日に執行されたと帰ってから知った。彼とは千葉県市川学園中学で同級だったが、2年生時に私は京都へ転校し、彼は千葉の地元中学へ転校した。偶々高校卒業後互いに2年間の浪人生活の末、同じ慶大経済学部に入学し、登山のアルペンクラブに入部するという稀有な再会を互いに喜び合った。在学中東北地方の飯豊連峰を縦走したことが懐かしい思い出であるが、その他にも一緒に南北アルプスや八ケ岳、秩父など他の山々にもよく登った。卒業後、彼はキッコーマン㈱役員として活躍され、また個人的にはマンズワイン㈱社長時代に山梨のマンズワイン工場を見学させてもらったことがある。長年気の合う友人として半世紀以上に亘って厚誼を深めてきた。2年前の拙著出版記念会には健康が勝れず出席してもらえず、しばらく会っていなかった。今日奥様にお悔みのお電話を差し上げたところ、3年前から肺がんで入退院を繰り返していたという。まったく知らなかった。好漢の死は実に寂しく残念である。

 著名人としては、映画監督の松山善三氏、そして世界的にはチェコの元体操選手で一世を風靡したベラ・チャスラフスカさん、そしてウズベキスタン独立以来四半世紀以上に亘って大統領の職にあったカリモフ大統領が亡くなった。

 この中では、チャスラフスカさんが強く印象に残っている。オリンピック東京大会とメキシコ大会の妖艶な演技で金メダル10個を獲得し、今の曲芸師のような演技とは異なり上品な演技でファンを沸かせた。家庭的にはあまり恵まれず、東京大会で400mに出場したオドンネル選手と結婚したが、その後別れ、その元夫が長男によって殺されるという悲劇を背負った。彼女を最も有名にしたのは1968年の「プラハの春」で反体制側を支援したため、その後厳しい生活を余儀なくされたことである。親日家で日本人にとっては五輪史上最も印象に残る選手のひとりである。数か月前に癌で余命を宣告されたが、いつまでも自分の意思を曲げずに行動し、思い通り自らの選んだ道を歩んだことはもって瞑すべしであろう。

 人が去るのは世の宿命である。だが、身近な人、親しい人が手の届かないところへ行ってしまうのは耐え難い悲しみである。これを無情と言うのだろうか。

2016年9月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com