417.2008年7月4日(金) 小中陽太郎さんの上海時代

 今年から税金の申告について、個人事業主の申請をすることになっているので、領収証は正月から一枚一枚すべて保管しているが、青色申告書の細かい書き込み方法や手順が分からない。また、帳簿の記入方法も実質的なやり方がよく分からない。今日玉川青色申告会で新規帳簿記入者を対象に、講習会を開いてくれたので、午後神妙な顔で出かけた。2時間の講義に初心者約25名が出席した。青色申告会の担当者が手馴れた説明をされたが、講師経験から余計なアドバイスをするなら、パワーポイントを使って説明するともっと効率的に、かつ分かりやすく説明できるのではないかと思った。

 やはり個人個人で申告の仕方が異なるので、結論的には青色申告会などで個別に教えを請うことが一番手っ取り早いと感じた。できるだけ早い機会に、玉川青色申告会に出かけ、一度自分の申請に見合った記入方法を相談したいと思っている。

 青山の草月会館草月ホールで上演のミュージカル「上海夜想曲」を妻と観劇に出かけた。このホールには、以前にも小中陽太郎さんの自伝的ドキュメント「ラ・メール母」をミュージカル化した時に観に来たことはあるが、観客500人規模の劇場で割合見やすい。主演は前回同様碧川るり子が、日本のマタ・ハリと言われたスパイ・川島芳子を演じ、日中戦争から戦後へかけての上海・租界時代の思い出と、戦後になって生存者が川島芳子周辺の人々を偲ぶあらすじである。懐かしい歌も数多く唄われ、それなりに楽しめるものであった。もちろん今日のミュージカルも小中さんのお勧めによるもので、会場でもご夫妻にご挨拶した。上海における小中さんの幼少時代のご友人も数多く駆けつけてくれたのは、小中さんのお勧めもあるが、上海ノスタルジアも強いのだと思う。ご紹介された方の中に慶応大教授を辞めた方が、上海でこどもの頃に「陽太郎ちゃん」とよく遊んだと言っておられたから、ちょっとわれわれのような国内派にはその気持ちは分からないが、相当上海時代がよい思い出となって焼きついているのだろう。それにしても、戦前外地で同じような生活をしていた日本人家族同士が、親しくお付き合いして、戦後も親しい関係を続けていることは想像もできない。小中さんも後世にまで思い出の残る素晴らしい幼少時代を過ごされたのだなあと羨ましく思う。

2008年7月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com