435.2008年7月22日(火) 酒飲みの集まり

 「酒のペンクラブ」例会が虎ノ門で行われた。いつもながら山中会長、麻木さん、小中さん、西山さん、勝野さんらが来られ、面白い話を聞かせてもらった。

 終わって山中会長に従い、新橋で小さな飲み屋に立ち寄った。随いて行くだけだったが、共産党員だった山中さんからいろいろな話を伺った。麻布→東大の秀才コースを歩んだ山中さんから、昔の共産党の活動について伺った。話によるとかなり共産党活動に関わっていたようだ。あの清水丈夫さんの話も出た。

 そこへ何とJN協会の阿部和義さんが知人とともに入って来られ、あまりの奇遇にお互いびっくり。

 拙著の再出版、再流通について、小中さんから貴重なアドバイスをいただいた。やはり長い間に多くの出版業者とお付き合いがあるので、ご意見は大変参考になる。

 12年間も逃亡していたボスニア内戦のセルビア人勢力政治指導者、ラドバン・カラジッチ被告が身柄拘束された。国際刑事訴追され身を隠していたのではないかと思っていたが、医師としての資格を活かし、変装して医師として働いていたらしい。

 はっきり言って日本人には中々分りにくい内ゲバだった。旧ユーゴスラヴィア内戦の結果、旧ユーゴスラヴィアは6つの共和国に分れた。その間各共和国内で紛争、騒擾事件が相次ぎ、現在の形になるまで長い年月を費やした。しかし、まだセルビア国内にはコソボ自治区が独立を志向し、国民投票によって独立は正式に認められた。それをセルビア政府が認めないという点で、いまだに独立容認派アメリカ・EUが反対派ロシア・中国と対立している。セルビア人の力が一番強かったせいか、セルビアの影響力は各共和国内に広く及んでいる。そう言えばセルビア人のカラジッチという人がいたなぁという記憶はある。旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷(ハーグ)が、このカラジッチを民族大虐殺の罪で起訴し、長い間身柄を追っていた。似たような民族が、何とかひとつの国家を形成していたが、それが民族独立の流れにより、民族が同じというだけの理由で分離・独立した。

 しかし、やはり民族対立があったのだろう。ベオグラード(セルビア)に住む山崎洋氏の話を聞くと、隣のクロアチアへ行ってもいつもクロアチア人から嫌がらせをされると言っていた。民族問題は、そう一筋縄にはいかないものである。

2008年7月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com