461.2008年8月17日(日) 戦争についてもっと話す機会を

 終戦の日、オリンピックにかき消された戦没者追悼について、新聞やテレビの討論番組でもやはり話題になっていた。テレビの討論会に出演するような人が、すでに圧倒的に戦後生まれが多くなり、彼らがいわゆる戦争を知らない世代であり、こういう人たちだけで議論することが果たして的を射ているのかどうか疑問にさえ思っている。

 それでも15日の追悼式で河野衆議院議長が式辞の中で述べた、新しい追悼施設建設について、日本遺族会会長でもある自民党の古賀誠氏は河野案には賛成だが、そのためには、前提として遺族会内部がひとつにまとまることと、靖国神社の了解を得ることが必要だと述べていた。

 別の番組では、日本では先の大戦の反省が成されていないと厳しく指摘した評論家がいた。いつも喉元過ぎれば熱さを忘れる。広島や長崎の原爆慰霊碑に訴えるように書かれている「2度とこの悲惨な過ちは繰り返しません」の誓いの言葉は、その場では強い説得力を持つが、言い放しになって、それから一歩も「2度と繰り返しません」の方向へ進んでいないと指摘していた。つまり、広島や長崎の言葉、言い換えるなら「反戦の誓い」の一方で、日本政府はイラクへ給油活動を行い間接的ではあるが戦争に加担している。アフガニスタンへもPKO部隊を派遣しようとしている。慰霊碑の前では、残酷な戦争は繰り返さないとあれだけ固く誓っていながら、現実には新しい戦争に次々に関わっている。あれだけ多くの犠牲者を生んだ先の戦争が、まったく反省にはなっていないのだ。これでは徴兵されて亡くなった兵士や遺族、巻き込まれて亡くなった一般市民は浮かばれない。せめて終戦の日には、こういう問題を国民が真剣に考えてみる習慣を持ちたいものである。

 さらに、数日前明らかになった東条英機の終戦直前の直筆の日記が見つかった。敗戦を覚悟しながらも、国民の愛国魂の欠如を嘆いているというからふざけるなと言いたい。東條には軍人らしい潔さがない。大勢の部下を預かる軍隊には、いてはいけない、上官にしてはならない軍人だった。関東軍参謀長の傍ら、国際法で禁じられた中国におけるアヘン売買の総元締めという悪役まで務めながら、自らの責任を逃れ、その罪をすべて国民に被せようとした。その最低の軍人が東條英樹だった。今も戦没者の英霊を靖国神社から分祀することについて、頑なに反対しているのはその東條の遺族である。

2008年8月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com