国際政治の舞台は、相変わらず波乱含みである。両国が停戦に合意したにも拘らず、ロシア軍の南オセチア自治区、アブハジア自治区からの撤退が、現実には実施されていない。新聞記事だけみると、お互いに駆け引き、嘘の付き合い、騙しあいを繰り返している。権力を握ると、嘘の上塗りと理論付けして公然と嘘八百を述べるようになる。それが分っていながら、さも真実のようなデタラメを言い、恥ずかしげもなく国家のステートメントとして堂々公表するのである。
さて、99年軍部の無血クーデターで権力を握ったムシャラフ・パキスタン大統領が遂に辞任した。野党連立4党が大統領を弾劾することで合意、下手をすると大統領死刑の可能性もある弾劾決議を前に、野党は弾劾取り下げを条件に大統領に辞任するよう求めた。かつて軍参謀長だった大統領は、自らに軍の支持がないことを認めざるを得ず、野党の提案を受け入れた形になった。
近年パキスタン国内ではイスラム教徒と、政府・軍が対立するケースが多く、9.11テロ事件以降テロリスト掃討という点で、アメリカと足並みを揃えてきただけに、ブッシュ政権にとっても大きな痛手だろう。にも関わらず、一部ではムシャラフ氏は、頼みの綱だった軍とアメリカに見限られた末の決断だったと見られている。
これからのパキスタンは誰が政権を担当しようとも、問題山積で前途に光明が見出せない。核保有国として重い責任と負担を強いられる一方で、経済停滞と経済格差問題が日常化しているうえに、欧米文化とは相容れないイスラム文化がある。その中でフシャラフ大統領はアメリカ政府に協力的だった。テロリストの根城ともいわれるアフガン国境地帯は今でも危ない無法地帯である。8年前にカイバル峠を訪れた時も、パキスタン政府の力はこの周辺には及んでいなかった。パシュトウン人のイスラム教徒が、自由気ままに往来していた。こういう地域を安全に管理することが、政府の責任でもある。しかし、見たところ、そんな安全な状態はいつの時代になるやらという感じがした。
寺島実郎氏も言っていたが、これからはパキスタンの動静から目を離せない。