YahooのWEBサイトを何気なく覗いていたら、2つのアイテムが目に留まった。ひとつは、友人「山崎洋」の名前がインターネット百科事典「Wikipedia」の「日本の翻訳家」の1項目に載っていたのである。その紹介文の中に、篠田正浩監督作品「スパイ・ゾルゲ」に関する彼のエピソードが載っている。読んでみると、そのエピソードは私が「知研フォーラム」に寄稿した、山崎くんの母上について書いた「ある女性の波乱の生涯」から引用されている。勿論脚注にその旨書かれている。友人のおかげで、私も「Wikipedia」に名を連ねることになった。
もうひとつは、「はてなアンテナ」というサイトに私のブログ「ご意見番の意見」が紹介されていたことである。HP(知の狩人・知の旅人)本体ではなく、人目につきにくいHPの中に組み込んだブログが紹介されたということは、HPのトップページを通してブログを読んでくれ、その内容をある程度評価してくれたことだと思う。
驚くのは、私以外の9人のHP掲載者には、今をときめく副島隆彦、加瀬英明、高市早苗氏らの他に何と塩見孝也がいる。誰あろう、元日本赤軍議長である。
まあ、あまり気にもしていなかったが、意識しようとしまいと自分の知らないところで自分の考えを多くの人に読んでもらい、それなりに評価されるというのは嬉しいものだ。ひとつの刺激になる。これからも今まで通り、しっかり腰を据えて書いていきたいと改めて思う。やはりHPは効果テキメンで、これから出版物のPRにもうまく使えるのではないかと思っている。
17日間続いた北京オリンピックも今日閉会式を迎えた。最後の陸上種目男子マラソンも案の定惨敗だった。派手で時間のかかったサプライズ開会式に比べて、閉会式は開会式ほど時間をかけなかったが、相変わらず中国らしい派手で毒々しい演出だった。ようやるなぁというのが本音だ。とても感動を与えるという演出ではない。一種の芸能人のイベントである。バベルの塔でも真似たような高い塔の周囲で、曲芸をやったり、入れ替わり立ち代りエンターテイメントをやって、ロンドン名物2階建てバスを入場させ、サッカーのベッカムにボールを蹴らせたり、ジャッキー・チェンに唄わせたり、プラシド・ドミンゴまで狩り出して中国人ソプラノ歌手と唄わせる。どうせ唄わせるなら、あまり知らない中国の歌より、中国所縁のオペラ♪トウランドット♪の「誰も寝てはならない」を唄って欲しかった。いずれにしても、厳粛、荘厳、人間の尊厳、愛情、思いやりなどとはまったく縁遠いものだった。漸く終わったというのが、率直な感想である。
獲得した金メダル数も開催国中国がダントツ・トップで、中国の国威発揚もそれなりの効果を上げたことだろう。中国の狙いは達せられた。だが、そのためにどれだけの資金を注ぎ込み、人海戦術で人をかき集めたのか。国際政治が専門の藤原帰一・東大教授は、開会式を評して「伝統の誇示と政治宣伝に才能を消費するばかりで、悲しい光景だった」とまで言っている(本日付朝日)。徹底した警備体制により、オリンピックを混乱させるような事態は表面上発生しなかったようだが、昨日ジャック・ロゲIOC会長は、期間中ただ1件のデモも許可されなかったのは異常だと苦言を呈した。
中国政府には、これからは世界の大国としての責任を果たしてもらいたいものである。国連関係でも分担金は、国連本体、世界遺産、ODA等々、恩恵に浴していながらほんの微小である。それでいて5大常任理事国のひとつとして、そのパフォーマンスはいつも国際世論とは逆行するように見える。もうそんなわがままは許されない。人権問題も含め、中国の行動には目を光らしていく必要がある。
ともあれ、騒がしかったオリンピックも終わった。それなりに楽しませてはもらったが、最大の不満は、この北京オリンピックが中国の政治的な宣伝と伝統文化の自画自賛に利用されただけで、今世界の中でも大きな課題となった環境汚染対策に対するメッセージが、何ひとつ示されなかったことである。絢爛豪華な仕掛けばかり考えずに、時間を決めて電気を消すとか、ナイターをできるだけデーゲームにするとか、方法はいくらでもあったと思う。煌々と電気を照らし、花火を打ち上げるばかりが祭典ではないと思うのだが・・・。
次回ロンドン大会について、ブラウン英首相はイギリスとしては中国とは違う形のオリンピックを開催すると語っていたが、もっと小規模で、個性的で手造りのオリンピックを開催して欲しいと思う。