574.2008年12月8日(月) 共同通信・原寿雄氏と菅生事件

 28年前の今日ビートルズのジョン・レノンが殺された。文部省海外教員派遣団にお供してちょうどマルセイユにいた時、そのニュースを聞いた。もう30年近くも経ってしまったのかと思うと感慨無量である。大東亜戦争開戦記念日も今日である。この戦争にまつわる戦没者のための、遺骨収集事業や戦跡慰霊団のおかげで今の旅行ジャーナリストの立場もある程度固まったと考えるとこれも自分にとっては感慨を憶えるところである。 

 新聞各紙が世論調査で麻生政権の支持率というのを出している。朝日の内閣支持率は僅か22%で、麻生政権発足以来2ヶ月で急降下した。首相にはあの小沢一郎氏の方が適しているとの声が上回ったそうだから、その不人気ぶりが別の意味で興味を呼んでいる。スポーツ紙や夕刊紙などでも一面トップに、この「麻生人気急降下」という話題を取り上げている。わが国の最高責任者がこの不人気で、国民から信頼されていないのは嘆かわしいが、本人がノー天気だからどうしようもないか。

 今日はPCの講習を受けてから、先週に続いて岩波アネックスビルで岩波市民セミナーを受講した。前回の講義が質的に高く素晴らしい内容だったので、今日も楽しみに駆けつけた。

 途中渋谷の紀伊国屋書店を覗いてみたら、嬉しいことに拙著「停年オヤジの海外武者修行」が平積みされていた。

 セミナーの主題は「記者として学んだもの」だったが、主に戦後の官憲によるでっち上げ事件として長らく話題になっていた「菅生事件」を取り上げられた。原講師はこの奇怪な事件に深く関わっていた関係から、説明を聞いて事件の実態をかなり理解できた。事件としては、警察がスパイを使って菅生村交番に爆弾を仕掛けて当時広く活動していた共産党つぶしを企んだものと伝えられ、私自身もその程度の知識しか持ち合わせていなかった。その背景には、破防法(破壊活動防止法)を成立させたいという政治の思惑が絡んでいた。主犯と見られていた「戸高公徳」が偽名「市木春秋」を名乗った警察官だったということは初耳だった。

 事件発生は昭和27年だったが、主犯格の市木は姿を隠し、他に5人が逮捕され、昭和30年大分地裁で4人が懲役刑を、一人が執行猶予刑を受けた。32年になって謎の人物「市木」の素性が明らかになり本名・戸高公徳の追っかけが始まった。新宿の春風荘に潜伏中に、講師・原寿雄氏がバーへ連れ出して警察隊に囲まれた。事件は33年に戸高が有罪となり、最高裁へ上告したが、35年上告棄却により落着となった。

 こういう武勇伝を持った方だとは存じ上げなかったが、やはり話の内容も筋が通っており、説得力も充分で、素晴らしい講義だった。

 第1回で今仮に満州事変が起きたら、朝日は関東軍の謀略を暴露することができたか、と疑問を投げかけられたが、今日出席された朝日記者はできなかっただろうと言っておられたし、後になって朝日は転向するかとの問いに対してもありうると説明された。

 現場に足場を置かない現代のジャーナリストには真の情報がキャッチできないだろうし、どんどん現場に出て臨場感に触れるようでなくては報道ジャーナリストとは言えないと、僭越であるが自分自身のベトナム、中東、カイバル峠の体験談を交えて、原講師の見解を尋ねたところ、当然その点については分っておられた。ただ、メディアの苦しい立場も説明された。一般論としては私の質問は理解できるが、現実的な話としては会社、個人の異なる事情もあり現段階ではあまり突っ込まないで欲しいというのが、本音ではないだろうか。ニューヨーク同時テロの一ヶ月後、10月11日の朝日特集では2面もの大きなスペースを取って、テロへの取材活動に対する言い訳ばかりが書かれていたが、その点の朝日への追求に対して朝日記者からは何の応答もなかった。

 いずれにせよ、これほど充実したセミナーも珍しいと思う。あと2回を楽しみにしたい。

2008年12月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com