終戦記念日に当たる今日、全国各地で慰霊祭が行われたが、東京の日本武道館では先日「生前退位」についてお気持ちを述べられた天皇・皇后両陛下ご臨席の下に政府主催の全国戦没者追悼式が行われ、310万人の戦没者を悼んだ。天皇は例年通り戦争の惨禍が再び繰り返されないことを願うとのお言葉を述べられたが、安倍首相は歴代の首相が言及したアジア諸国への加害、深い反省などの言葉に今年も一切触れなかった。
今日はお隣の韓国でも日本の植民地支配からの解放を祝う「光復節」式典が行われた。この数年日韓関係は必ずしも友好的と言えるような間柄にはない。今日も竹島に国会議員が上陸し、自国領土であることをアピールした。
一方毎年中韓両国を刺激する閣僚の靖国神社参拝は、今年も約70名の国会議員、毎度参拝する高市早苗総務相と今年初めての丸川珠代オリンピック担当相が行った。常習の高市総務相はともかく、丸川大臣の言い分は、国のために亡くなられた戦没者の御霊にお参りするのは当然とのニュアンスの発言だったが、すべて極右の政治家の受け売りでこの大臣には靖国神社の本質がよく分かっていないようだ。靖国神社に誰が祀られているかという点をまったく考えず、また戦禍を与えたアジア各国への思いやりに欠ける発言である。毎年繰り返される中国と韓国からの批判を焚きつけるようなものではないか。丸川大臣の行動は、今日参拝したいが立場上お参り出来ないどなたかの身代わりで靖国へやってきたのではないか。そう勘ぐって考えざるを得ない。こんな非常識な人間が国務大臣とは呆れるばかりである。
さて、高校の3年後輩で大学のゼミでも後輩に当たり、卒業後も高校、大学の先輩・後輩として気軽に付き合っていた中村寛夫くんが4月に亡くなったとゼミの先輩・小松先生からメールでお知らせいただいた。彼は中々優秀な後輩でゼミの恩師・飯田鼎先生も期待していた。卒業後岩波書店に勤めて、相変わらずペンもおしゃべりも達者だった。近年は肺を患い、外出の際は酸素吸入器を持参して苦労されているようだった。最近はあまり外出することもなくなったせいか、電話と手紙によるやり取りだけになってしまった。昨年もらったハガキには「イヤな世の中になったもんです。小生ヒッソリ消光しおり」と書き添えてあった。常日頃から自民党政権に批判的だったし、徐々に保守化する政治にうんざりしていたことが窺える。
2012年にゼミの恩師を追悼する文集を発行した際、私が編集責任者となり、彼にも寄稿をお願いしたところ健康不良を理由に一旦は断って来たので、脅しつけ命令調でペンを執らせたことも懐かしい思い出である。幸い追悼文集は多くのゼミ卒業生から励ましと慰めをいただき、まずまずの出来映えだったと自画自賛している。幸いにも中村くんが中々個性的な名文を寄稿してくれたので、全体的にまとまって洗練された小冊子になったと自負している。
昨夕奥様にお電話した際、いろいろお話を伺い彼を懐かしく偲んだところである。追悼文集については手元にある筈だと仰っていたが、折角中村くんが書いた名文を奥様が読んでいないのは残念なので追悼文集と、他に出身高校についてもページを割いている拙著「南太平洋の剛腕投手」も一緒に、今日郵送したところである。それにしてもまたナイスガイが彼岸へ旅立ってしまった。何としても寂しく悲しいことである。
リオ・オリンピックも中盤に入った。競泳はすべて終了し、日本は金2、銀2、銅3のメダルを獲得したが、何とアメリカの怪物、31歳のマイケル・フェルプス選手は今大会5つの金メダルを獲得し、彼ひとりで過去の大会を合せてオリンピックで23個の金メダルを手にする大活躍ぶりだった。今日行われた陸上男子100m決勝では、ジャマイカのウサイン・ボルト選手が、北京、ロンドンに続いて3連覇を飾る圧巻の走りを披露してくれた。
特筆されるのは、テニスで錦織圭選手が銅メダルを獲得し、日本人テニス選手として1920年アントワープ大会の熊谷一弥選手の銀メダル獲得以来96年ぶりのメダリストとなったことである。1世紀も前にオリンピックで大学の先輩が大活躍したことを知って嬉しく誇らしく思う。