697.2009年4月10日(金) 天皇・皇后ご成婚50周年

 今日は天皇・皇后ご成婚50周年記念日である。新聞でもテレビでも特別報道を流している。昭和34(1959)年のこの日パレードが進む最中に不届き者が馬車に飛びかかって取り押さえられた衝撃的なシーンが印象に残っている。それから20年以上を経て、その当時の厚生省が遺骨収集事業でお世話になっていた、国連信託統治領中部太平洋地区高等弁務官コールマン氏夫妻を日本に招待した時、皇居内の厩で厚生省課長とともに、古びたこの馬車に乗せてもらったことを感慨深く思い出す。

 天皇は即位して20年目になるが、殊のほか大東亜戦争戦没者への慰霊の気持が強いようにお見受けする。1975年7月に初めて沖縄を訪問してひめゆりの塔で火炎瓶を投げられた。あれもショッキングな事件だった。その後戦後60年を迎えて2005年にはサイパン島へも慰霊巡拝されておられる。今上天皇に戦争責任はまったくないが、昭和天皇の戦争責任については未だにきちんと議論をすることもなく、ウヤムヤのままである。昨日の朝日夕刊「『検証』昭和報道」の中で「日本人自身はなぜ戦争責任を語らないのか。外国人ジャーナリストの多くが抱いた疑問だ」と問題を投げかけられている。昭和天皇が崩御された時が、戦争責任を問う最後の機会だったという外国人は多い。結局「皇室にものを言うのには危険が伴う。まして戦争責任は追及しにくい」ということで結論は曖昧にされたままお蔵入りになった。

 昨年共同通信の原寿雄氏が、セミナーの中でジャーナリストとしては珍しく進んで触れた「昭和天皇には戦争責任があると思う」と述べられたことが、有識者の中で唯一の天皇の戦争責任追及論のように思う。

 ご成婚と時を同じくして私は大学生になったが、すでに安保条約改定を翌年に控えて入学した大学キャンパス内は騒然としていた。その中で同じフランス語クラスにいた、県立福島高校出身の渡辺勉くんを通して、湘南高ラグビー部の1年先輩だった東大生清水丈夫さんから、日吉キャンパス内にオルグを組織しろと指令?を受けた。まだ2年間の浪人生活を終えたばかりで、これからのんびり大学生活を楽しもうと漠然と夢想していた時だっただけに、考えても見なかった不意の話にしばらく考えさせて欲しいと応えたことを懐かしく思い出す。清水さんは当時全学連書記長として全国学生運動の中心にいた。その先鋭な思想とリーダーシップ、そしてその存在感は並み居る全学連闘士の中でも圧倒的で、ひとり群を抜いていた。

 翌年、60年安保で日本中が熱気に包まれ、その中で、或いはその興奮を引きずったまま学生生活を送ることになった。私は安保闘争に最前線で戦うというほど積極的な姿勢が取れず、最初の内は大体上級生リーダーの尻に付いているというふがいない状態だった。その中で渡辺くんは安保、そしてその後の学生運動に身を挺して突っ込んでいき、次第に授業にも出席せず、ゼミの飯田先生も心配していた。結局次第に大学にも来ることが少なくなり、卒業も出来なかったのではないか。今も動向が気になっている友人のひとりである。

 天皇・皇后ご成婚50周年に遅れること10年にして、われわれ夫婦も今年結婚40年を迎える。両陛下に比べれば何と気楽な平時であろうか。

2009年4月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com