企画中の書物の取材で、小中陽太郎先生のお宅を訪問した。何度となくお邪魔しているが、今日はイタリア人俳優マストロヤンニと一緒の写真や、ニューヨーク・タイムスのベトナム反戦広告のコピーが飾られた書斎を中心に見せていただき、その後リビングルームでインタビューということになった。小中先生の活動については、すでにべ平連を中心とするベトナム反戦運動や、1967年の米空母イントレピッド水兵脱走事件、金大中救出活動などの平和運動、NHK時代のディレクターとしてそのお名前は広く知られているが、そうした活動と知的生産の源流について伺わせていただいた。
著書「ラ・メール母」に描かれたように母上との情愛、幼児期に育った上海を強く意識したこと、特に開戦を体験したことが強烈な印象として残っていることを聞かせていただいた。NHK時代に名古屋で小田実さんとドラマ制作に関わったことや、伊勢湾台風も名古屋時代の思い出として印象に残っていると仰った。
以前からお聞きしたいと考えていたのは、どういう経緯でフランス文学を専攻されたのかということだった。幼少時から身体が弱かったことから、読書に親しみ、長じてコワモテのヒットラー的ドイツよりリベラルなフランス文学に関心があったということと、仏映画の影響があったとも伺った。影響を受けた作家は、ジイド、マルロー、サルトル、カミュという話だった。現代の若者考や親しい作家についても話が及んだ。アイディアがひらめくのは列車内というのも意外だった。
いずれにしろ楽しい話を沢山聞かせていただき、私以外に「知研」から秋田事務局長、若手会員の幅さんと遠島さん、そして出版社の東洋経済新報社から担当者とカメラマンが参加されたが、インタビューを終ってからも寛いだ気分で奥様を交えて大いに話は盛り上がった。書物は年内にも出版される予定であるが、これから少しずつまとめていかなければならないのが当然とは言え少々億劫な気もする。帰ってからお宅へお礼の電話を差し上げたところ、小中先生からまとめるのは大変でしょうが、頑張ってと力づけられた。ご期待にお応えするよう全力を尽くしたい。
予想されたことではあるが、半狂乱の北朝鮮は、国連安保理事会が北の‘ミサイル’発射を非難する議長声明を全会一致で採択し、再発射の自制を求めたことに対して猛烈に反発した。「国連安保理が我々の衛星打ち上げを論議したこと自体、許し難い犯罪行為」といつも通り自己流解釈によって非難し、今後絶対に6者協議に参加しないし、核開発を再開すると、手前勝手な論理で相変わらずの駄々っ子ぶりを発揮している。
折も折、乾燥しきった日本列島に久しぶりに雨が降ってきた。しかし、長崎県平戸沖合では強風雨の中でまき網漁船が転覆し、22名の乗組員の内、12名の行方が分からない。徹夜で捜索するという。気の毒という以外に言葉もない。