大学で必修科目の第2外国語にドイツ語ではなくフランス語を履修した。経済学部の学生としては、ドイツ語の方が一般的だと思う。それにも拘らず、入学前から敢えてフランス語を専攻しようと考えていたのは、将来世界各地を旅行する場合にドイツ語よりフランス語の方が広く通用し実利的だと感じたことと、フランス語がラテン系言語なので他のラテン語圏でも簡単な言葉なら意味が分かりそうだとの単純な考えだった。しかし、実際に旅行を生業とするようになり、フランス語を履修したおかげで随分助かったことがありフランス語を専攻して良かったと本心から思っているくらいである。
実は、今日の日経夕刊紙に「鴎外自筆書簡に孫の命名由来」との記事が掲載されている。その孫こそ誰あろう、教養課程でフランス語を習った山田爵先生だった。優しい感じでユーモアに溢れた先生だった。当時成城学園に住んでおられた山田先生が、ある時小田急線が事故を起こし不通になったので、われわれ学生は当然授業は休講だろうと思っていたら時間前に教室に来られて「休講と思ったでしょう。残念でした」と愉快そうに仰った。事故を知って早めに他の交通手段で日吉キャンパスへやって来られたのだそうである。愉快な先生でいつも微笑みを絶やさなかった。ご自分から鴎外の孫であるとは一度も仰らなかったが、噂は広がり、誰もがそう思っていたところ、もう1人のフランス語の木内先生が「秘密」を明かしてくれた。間違いなく文豪森鴎外の孫だったのである。鴎外の子孫には、外国語の名前をつけた人が多い。漢字の当て字を使用するが、外国人にありそうな名前を日本語にこじつける(?)のである。この山田先生の爵も難しい漢字を当てる。鴎外は「世界通用ノ名トナル」と得意だったようだ。とても読めない漢字で、画数が多くて覚えきれない。名前の由来書には「名トシテヨイ字ダトオモハレル」と記している。
何年か前に北九州JR小倉駅近くの森鴎外記念館を見学したことがあるが、その折鴎外の家系図を前に担当者と話をして、そこに記載されていた山田爵先生に教わったと話したら、随分うらやましそうな顔をされたことがある。
フランス語の実力はついていないが、おかげで文豪・森鴎外の孫にフランス語を習ったということも今となってはひとつの勲章である。後年山田先生は東大教授になられた。