昨日の続きであるが、外務省の外交機密「密約」文書が2001年4月情報公開法施行直前に、廃棄処分された形跡がある。朝日新聞社が調べた同法施行直前の各省庁の文書廃棄数は、外務省が圧倒的に多い。2位の財務省と比べても桁違いに多い。これはそれだけ国民に見られてはやばい資料が存在したということである。日米政府間で密約した当該の外交文書が、大量に処分された資料の中に入っていたかどうかは推測の域を出ないが、恐らく含まれていたのではないかと思う。事実関係を問い合わせた朝日に対して、外務省はきちんと応えていない。中曽根弘文・外務大臣にいたっては、問題を調査する考えはないと述べた。この世襲議員は一体何を考えているのだろう。流石に朝日社説は「密約自体は半世紀も前の話だとはいえ、破棄が指示されたのは2001年ごろのことだ。現役官僚も関与しているかもしれない。なぜ真剣に調べようとしないのか、納得出来ない」と不満を述べている。
情報公開訴訟を手がけている小町谷育子弁護士は、「国民への説明責任も果たさず、重要な文書を捨てるという行為は許し難い。政策の検証も出来ないまま、真相は藪の中だ。国民が怒りの声をあげないと同じことが繰り返される」と警告している。外交史専門家、石井修・一橋大学名誉教授も「米国では、政府高官の電話での会話すらテープにとったうえで公文書におこして残す。内容を非公開とする場合でも、文書そのものが存在することは明示される。『公文書は国民のもの』という真摯な態度があるからだ。それに引き換え、今回のように公文書を捨ててしまえと指示するというのは歴史に対する冒涜であり、納税者に対する犯罪である。怒りがこみ上げてくる」と外務省の対応を非難する。
元々役人のやることには、残念だが心から信頼することは出来ない。どこの役所も相も変わらず官尊民卑の観念があるうえに、あまりにも非効率な仕事ぶりを知るにつけ、やはり公務員のあり方を根本的に見直し、国民の下僕であるとの心構えをきちんと胸に収めてもらわないといけないと思う。そうでなければ、多分似たようなことは年中行事となるだろう。まったく今どきの役人根性には愛想が尽きる。
昨日の朝日夕刊「人脈記」の「反逆の時を生きて⑭」に、懐かしいかつての2人の学生運動家の近況が紹介されていた。1人は加藤三兄弟の真ん中の加藤倫教(57歳)で、もう一人は植垣康博(60歳)である。二人とも連合赤軍の同志で、浅間山荘事件前後に「総括」と称して12人もの仲間を殺害するという猟奇的な事件に加わり、警官隊と銃撃戦のすえ逮捕された。TV画面に目を釘付けにされた、世間を震撼させた社会的事件である。今年3月には若松孝二監督の映画も観た。事件の起きた1972年当時、随分関心を持ってこの事件に目を奪われながら、彼らの一挙手一投足を固唾を呑んで見守っていた。加藤は兄弟間の愛憎に心が揺れる中で兄の殺害に加わった。植垣はその前から全国に指名手配され、その精悍な顔写真をはっきり覚えているが、37年が経過して頭は光輝き昔日の面影はない。どうしてここまで血迷ってしまったのか言うべき言葉もない。2人ともベトナム反戦運動にも加わったが、ベトナム戦争の終結は獄舎の中で知った。ともに国立大理科系で学びながら、今では加藤は農業を、植垣は静岡でスナックを経営している。
加藤は「どんな犠牲を払っても武装闘争をという間違った共通認識が素地にあった」と言い、植垣は「自分がこうして存在していることが不条理な気がする。こうして生きていていいのか。亡くなった人たちには『すまんな』というしかない。『すまんな』で済む問題ではないが」と言っている。
こうした言葉に一抹の哀れさを感じる。カルト集団のように、絶対的な権威者や独裁者から盲目的に「成すべきこと」を信じ込まされるとこうなってしまうのか。かつては、鉄のような信念と強い意思を持って、武闘派集団として軟弱な体制派?と闘っていたかに見えたが、挫折し37年の時間が経過して、今やあまり幸せそうでないことが推察出来る。これも70年安保世代の屈折の軌跡と呼ぶべきか。何となく虚しい。