外務省の外交機密文書破棄の件で、衆議院外務委員長・河野太郎氏が元外務事務次官・村田良平氏に会い、村田氏から「密約」と噂された外交文書の存在をはっきり確認した。河野議員はよくぞやってくれたと思う。やっとまともな政治家がいてくれたという思いである。
ところが、終始一貫密約はないと主張していた政府は、河野議員が密約はないと主張する政府見解の修正を求めたことに関連し、麻生首相が「密約はずっとなかったと申し上げている。改めて調べるつもりはない」とにべもない。河野議員は政府答弁は虚偽だと批判しているが、河村建夫官房長官も「歴代首相、外相は密約は存在しないと明確に否定している。政府方針に変わりはない」と首相の談話を補足した。
政府や外務省にとっては、実際にあった事実より事実だと信じることの方が遥かに大切だと非教育的なことを外聞もなく言い続けているのである。あまりにも不条理ではないだろうか。
今後外務省は事実関係についてどう対応し、説明するのかはっきりしないが、半世紀の長きに亘って世間に疑惑を持たれた事件だけにきちんと説明し、国民を納得させるべきであるし、それが国の外交を預かるものの最低限の責務である。
昨日北康利氏から伺ったところでは、白洲次郎が旧通産省を造り上げるうえで吉田茂の手を借りて計画立案を進めたが、現在の経済産業省の記録を調べてみると白洲の名前はたった一行しか書かれていなくて失望したそうだ。つまり役所というところは、外部から意見を聞いて、ことが成功することが、結果が良くても内心では快く思わないのである。
このことは、結果が悪く自らに汚点となることなら尚更認めることを回避する傾向がある。今回の密約事件のように国民を半世紀に亘って騙し続けて、いざ事実が明るみに出そうになるや証拠を廃棄処分してしまうがごとき言語道断の行為は、とても普通の神経では実行出来るものではない。犯罪行為である。
先日もそうだったが、昨日も北氏は一方で役人擁護の言葉も述べた。それは、役人を責めたり、引き摺り下ろすようなことではなく、もっと役人の良い点を誉めてあげないと誰も馬鹿らしくて真剣に働かなくなると同情的に言っていた。ご尤もであるが、役人に良い点なんかほとんどなくて、最初から高待遇に胡坐をかいていて、やることは一部の人間が全権を行使して国家を危うくするような行為までする。一民間人が成すこととは違うのである。あくどい限りの悪行を行ったとすると、これは最早全体責任であり、弁護のしようがないと考えるが、いかがなものだろうか。
外務省の外交「密約」文書事件は、全外務省職員が辞めてもらうに匹敵するほどの大罪だと思う。これが厳しいとなれば、この世に法律なんか要らない。救いようがないからである。
さて、昨日不通だったPCの無線回線が、やっと通じるようになった。NTTの専門窓口に聞きながら何度も何度もテストを繰り返して、漸く以前の状態に戻すことが出来た。細かい質問なので、時間はかかるし、分かりにくいので相手も嫌になることも多いと思うが、根気よく受け答えしてくれて気分良く30分近い時間を付き合ってくれた。私のような短気なものには、とても出来る仕事ではない。大型電気店の配送係には、概して程度の低い係員が多いが、その中でもごく僅かではあるが親切な係員も見られる。日曜日に機器設置に来られた電気係員と、今日電話で応対してくれたNTTサポートサービス係員の親切な対応に、久しぶりに涼風を感じたような気がした。