広島「原爆の日」である。広島市内の平和記念公園では平和祈念式が行われ、64年前の原爆投下時間8時15分に合せて、「平和の鐘」が鳴らされ、黙祷が捧げられた。
今年はオバマ大統領のプラハにおける「アメリカは核兵器を使ったことがある唯一の核保有国として、行動する同義的責任がある。核兵器のない世界にむけて具体的方策をとる」との前向きの宣言に乗って、将来的な核廃絶へ道が少し開けてきた。秋葉広島市長もスピーチの最後には、英語で
‘We have the power. We have the responsibility. And we are the Obamajolity. Together, we can abolish nuclear weapons. Yes, we can.’
と結んだ。中々やるなぁという感じだったが、出来れば最後のフレーズは、もうちょっと大きいな声で強調してくれれば、なお良かった。
しかし、核廃絶への道は一筋縄ではいかないと思う。オバマの気持ちが必ずしもアメリカ人の気持ちではないからだ。気持ちは理解出来るが、原爆投下とその的となった日本人に対して歴代大統領と同じく、オバマ大統領だって謝罪はしていない。現在アメリカ国内では原爆投下について賛否を問うと、60%以上の国民が投下を是認している。この米国内世論からすると、オバマ大統領が広島を訪れ、この式典に出席する可能性は今のところほとんど考えられない。日本人とアメリカ人との間に考えの差を感じる。
今年の式典には、海外から過去最多の59ヶ国代表が出席した。世界的にもオバマ宣言以来核廃絶への動きが強まってきた、この流れを少しでも実現化へ向かせて欲しいものである。
それにしても未だにアメリカ政府の代表が式典に誰も出席しないというのは、大統領の意向に叶っていないのではないかと考えざるを得ない。
3日から始まった初めての裁判員制度の判決があった。求刑16年に対して15年の判決だった。6人の裁判員も真剣に考えた末の結果だろう。専門家によれば、多くの問題点を曝け出したことも事実である。どうしてもシンプルな殺人事件のせいか、求刑に近い刑期の懲役刑になった印象もあった。もし、犯人が罪を否認していた場合、下手をすると冤罪の可能性を残す判決になることもある。また、凶悪犯罪の場合に死刑判決を行えるのか。懲役が裁判員によってばらばらの場合、どう調整するのか。問題点が多い。一気に満点とはいくまいが、漸進的にでもうまくいくように願うしかない。