長崎に原爆が投下された「原爆の日」である。3日前の広島「原爆の日」に比べて報道は、ボリュームも露出度も断然少ない。朝日も日経も社説にはほんの1行だって触れていない。気のせいか「長崎」は「広島」の二番煎じの感じがしてしまう。そんなことはないと思いたいが、どうしてもそう思えてしまう。犠牲者数では、広島の方が圧倒的に多いとは言え、同じように悲惨な犠牲者と被爆者が出ている。
麻生首相も長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に出て挨拶されていたが、ここでまたいつもの「悪い癖」漢字読み間違いをやってしまった。「癒すことのできない傷跡」と言うべきところ、「傷跡」を「しょうせき」と読んでしまったらしい。これではいくら何でも原爆犠牲者の身になって考えていないと受け取られても致し方がない。こんな状態では、報道のアピールもトーンダウンして、広島に及ばないのも無理からぬということか。
夜になってNHKスペシャル「海軍400時間の証言発見!~」を観たが、昭和15年に海軍は軍令部内に第1委員会なる組織を発足させ、大東亜戦争へ一直線に進んで行った。戦後も大分経過してから2度と戦争を起こさないために、第1委員会反省会なる会合が開かれ、その録音テープが紹介された
戦争については、いろいろな考え方がある。しかし、この録音テープを聴く限り、やはり重要な役割を背負っていた将校たちが、積極的に好戦的な発言をしていた。彼らが先頭に立って戦争へ駆り立て、結局仲間や部下は戦死したにも拘わらず生き残り、正に生き恥を晒しながら責任逃れと言い訳に終始している。こういう将校がいたからこそ戦争へ突き進み、多くの犠牲を生んだのだと確信を抱いたくらいである。
それにしても、どうして長崎はイマイチ盛り上がらないのだろう。麻生首相の発言は、いつもの漢字知らずが表れたと諦めるよりほかないが、長崎が盛り上がらない理由のひとつにはマス・メディアの報道姿勢の問題があると思う。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」日本人気質もあると思う。世界的に核廃絶、核不拡散、を漸進的に目指すなら、広島と長崎をセットにして、「ノーモア・核」を連帯して訴えるべきである。更に日本は最初にして唯一の被爆国であるとの日本政府の後ろ盾を得て、国連の場、各種の国際機関、国際会議等あらゆる国際的な場でキャンペーンを仕掛ける必要があるのではないかと思う。
日本の政治、外交の訴えは少し弱すぎる。それにピントが外れている。今日麻生首相が長崎市内の記者会見で述べたのは、核の先制攻撃を受けなければ、攻撃は仕掛けないということを打ち出すことが出来ないのかとの質問に対して、相手国の腹の中まで信用出来るわけではないので、そうはいかないような応え方をしていたが、長崎市民が一番神経質になっている「原爆の日」に、こういう回答をする一国の総理大臣の神経を疑いたくなる。これほど日本人はノー天気になっているのだ。情けない。