ビルマの軍事政権が民主化運動の指導者、アウン・サン・スー・チーさんに対して、裁判で労働を伴う3年の実刑判決を申し渡した。その直後に、特別の減刑措置で軟禁期間を1年6ヶ月に短縮した。軍事政権の司法に対する越権行為で、世界中に媚を売り少しでも国際社会の理解を得ようというスタンスがミエミエである。それでも軍政は今秋までの拘束期限を延長することによって、来年に予定される総選挙に対するスー・チーさんの応援や影響から免れることが出来る。
民主化を目指し人民のために闘ってきた人物を、納得出来る理由もなく逮捕し、自宅へ軟禁して自由を奪ったのは、そもそも1988年の軍事政権発足と、その後1990年のスー・チーさんが率いる国民民主連盟(NLD)の総選挙における圧勝がその端緒である。スー・チーさんの自宅軟禁は通算で14年近くになる。拘束期間を延ばしたことによって、事態は解決するどころか、解決を一層難しくしている。
国連は潘基文・事務総長が強い遺憾の意を表明するのが精一杯という有様である。安保理も直ちにビルマ制裁の決断が出来ない状態である。国連も手詰まり感が漂ってきた。ビルマについては、何も改善されない。哀れなのは、温和なビルマ人である。
スー・チーさんの裁判後における外国人外交官や外国プレスに対する丁重なお礼の言葉は、彼女の高潔な人柄を表している。相変わらず今もスー・チーさんは全ビルマ国民の信頼を一身に集めている。父親のアウン・サン将軍はビルマ独立の父として称えられ、スー・チーさんは暗殺された国父の1人娘として国民から普く慕われている。このようなビルマにとって大切な人を、どうして軍政のトップは避けようとするのか。彼らの地位保全と私利私欲が絡んでいるからに他ならない。このままどうやって落としどころを探るのか、その方向さえ見えない。
今日甲子園で一時付属中に在学した龍谷大平安高校と中京大中京高校の名門同士の試合が、行われた。しばらくぶりに試合開始からゲームセットまでテレビ観戦したが、残念ながら平安は5-1で負けてしまった。平安も数年前から男女共学になり、スタンドも華やかになった。中京も共学制となり、かつては質実剛健だった男子校も今やすっかり影を潜めてチア・ガールが乱舞していた。その中で平安応援席の最上段に大きな団旗を掲げている野球部員が2人立っていたが、その団旗は今の校名「龍谷大平安高校」ではなく「平安高等学校」と書かれていた。やはり関係者の誰にとっても、現在の校名より昔の校名の方が好きでノスタルジアを感じるのだ。本当はこういうことでは学校側としても困ると思うが、私にも昔の校名「平安高校」の方が現在の校名「龍谷大学付属平安高校」より断然いい。